第4章 小型でハイスペックな脳の獲得―昆虫の脳

“頭がハエの人間を殺すことも、頭が人間のハエを殺すことも同じことで、あなたも人殺しだ”
(映画『ハエ男の恐怖』1958年)

昆虫にも脳がある

 昆虫は地球上で最も繁栄している生物である。その形態や生態は4億年の進化の過程で非常に広く多様化しており(図1)、身近な隣人として私たちに喜びを与えたり恐怖をもたらしたりする(野原を美しく舞う蝶や、台所を這い回るゴキブリを想像してみよう)。しかしこれほど多様な昆虫も、一皮剥けば中身はとてもよく似ており、進化的な起源が共通であることもうなずける。
では早速、一皮剥いて眺めてみよう。私たちの周りには様々な昆虫がいるが、ここでは筆者の好みで、キイロショウジョウバエを扱う。キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)は一般には「コバエ」と呼ばれる眼の赤い小さなハエである。読者の方々の中には、高校の理科の教科書で出会った人もいるかもしれない。キイロショウジョウバエは簡単に飼えて世代時間が短いことや、記憶や学習、本能行動など、ヒトにも共通する動物の基本的な行動を示すことなどから、100年以上前から遺伝学や発生学、神経科学の研究分野でよく利用されてきた。現在でも、キイロショウジョウバエは、マウスや線虫と並んで、最も脳や神経系の理解が進んでいる動物のひとつである。

図1.昆虫の系統樹
[Misof et al. 2014 Phylogenomics resolves the timing and pattern of insect evolution. Science 346 (6210), 763-767. より改変]

 私たち脊椎動物と昆虫の身体を正中線に沿って切って比べてみると、神経系の位置が全く異なることに気づく。脊椎動物の神経系(脳や脊髄)が消化管(胃や腸)よりも背側を走行するのに対し、昆虫の神経系は、基本的には消化管よりも腹側を走行する(図2)。実際、ハエの胸部を腹側から解剖すると、外骨格のすぐ下に乳白色の神経組織を見ることができる。唯一の例外である頭部でのみ、昆虫の神経系は消化管と交差し、消化管に対して背側に位置する。

図3.ショウジョウバエの中枢神経系

 昆虫の神経系は、はしご形神経系と呼ばれる構造をしている。つまり、各体節に神経分節と呼ばれる、たくさんのニューロン(神経細胞)が集まった塊が、前後軸に沿って走行する一対の神経索によってつながり、全体の形が「はしご」のようになっている、という構造である。このような「はしご形」は、バッタやゴキブリのような、蛹を経ずに成虫になる不完全変態昆虫では比較的明確に見て取れる。しかしハチやハエなどの完全変態昆虫では胸部や腹部の複数の神経分節が融合しており、綺麗なはしご形に見えない。ショウジョウバエの神経系も、はしご形というより、ニューロン集団のふたつの塊でできているように見える(図3)。
この塊をもう少し詳しく見てみよう。ショウジョウバエは頭部及び胸部にそれぞれ、神経節融合体を持つ。前者を脳、後者を胸腹部神経節と呼ぶ(図3)。胸腹部神経節には、翅や脚の動きを制御する機能や、胸部や腹部に到達した感覚刺激情報の1次処理中枢としての機能を持つ。この胸腹部神経節は、3つの神経分節が融合した胸部神経節、7つの神経分節が融合した腹部神経節、並びに4つの神経分節が融合した最終腹部神経節から構成されることが、発生学的、進化学的な観察から指摘されている。
次に、脳を観察してみよう。脳は、頭部に存在する、複数の神経分節が融合した神経節である。昆虫では前大脳、中大脳、後大脳、と呼ばれる3つの神経分節が融合した大脳神経節と、mandibular ganglion, maxillary ganglion, labial ganglionとそれぞれ呼ばれる3つの神経分節が融合した顎神経節が、いわゆる「脳」と呼ばれる領域に含まれる。ショウジョウバエの脳の大きさは大体、高さが300マイクロメートル(コピー用紙3枚の厚みに相当)、幅が600マイクロメートル(6枚)、厚さが200マイクロメートル(2枚)程度であり、ニューロン数は約10万個である。なお、以前は、神経系と消化管が大脳神経節と顎神経節の間付近で交差していることから、大脳神経節は食道上神経節、顎神経節は食道下神経節と呼ばれていた。しかし最近の研究で、食道は実際には中大脳を貫通していることが指摘され、「食道上」「食道下」という呼び方は混乱を招くとのことから、現在の大脳神経節、顎神経節という名称が提唱された。このような呼び名の変更は、昆虫の神経解剖学分野での小さな革命なのである。

私たちの脳と昆虫の脳

 昆虫を含む節足動物と私たちヒトなどの脊椎動物は、エディアカラ紀(約6億2000万〜5億4000万年前)の終わりにはすでに分岐していたとされる(図4)。昆虫の身体は、私たち脊椎動物と全く異なる。では昆虫の脳もまた、私たちの脳と全く違う構成原理を持っているのだろうか、あるいは何らかの共通性があるのだろうか?

図4.脳の進化

 実は昆虫の脳の基本的な性質は脊椎動物と似ている。例えば、昆虫の脳は、脊椎動物の脳と同じように、ニューロンとグリア細胞でできている。ニューロン同士は化学シナプスや電気シナプスを介して互いに情報連絡し、膨大な数の結合を持つ神経ネットワークを形成している(図5)。ニューロン同士の情報伝達に用いられる神経伝達物質(グルタミン酸やGABAなど)に関しても、そのほとんどが脊椎動物と昆虫で共通している。また、脳は情報処理の機能単位としていくつかの区画に分かれ、いわゆる領野を形成していることも、脊椎動物とよく似ている(図6)。このような共通性から、中枢神経系は脊椎動物と昆虫の祖先において獲得されたと考えられている。

図5.ショウジョウバエの脳の神経ネットワーク [Brain Research Center, 国立清華大学(台湾)より]

 一方、昆虫の脳は私たちの脳と異なる特徴をも持っている。例えば私たち人間の脳は、1000億個以上ものニューロンから構成されているが、昆虫の脳は、比較的脳が大きいミツバチですら、96万個程度であり、ショウジョウバエに至っては10万個しかない。ひとつひとつのニューロンの規模も昆虫では小さく、1本のニューロンあたりのシナプス数は、脊椎動物のおよそ10分の1であるとされる。また、昆虫では、「ノンスパイキングニューロン」と呼ばれる、活動電位を出さないニューロンもよく観察される。このようなニューロンは、膜電位のレベルに応じて神経伝達物質を放出するため、アナログ的な信号伝達を可能にする。また一般的に、ニューロンの細胞体が脳の表層に存在し、神経突起を脳の内側に伸ばす点も、昆虫の特徴である。ニューロン同士のシナプス結合は、脳の内側の領域で起こるのである。対照的に、脊椎動物では、内側には領野間をつなぐ神経線維があり、主なシナプス結合は細胞体とともに表層にある。

図6.ショウジョウバエの脳は43個もの領野に区分けされる

 また、昆虫の脳を形成する領野は、脊椎動物のそれとは全く異なる。ショウジョウバエの脳は43個の領野に区分けされる(図6)。ほとんどの領野は左右にひとつずつあるが、運動制御などに関係する「中心複合体」と呼ばれる領野は、脳の中心にひとつしかない。左右の脳はほぼ対称な機能を持つとされている点も、著しい左右差が見られる人間の脳との違いである。

昆虫が感じる世界

 ここまでに、昆虫も脳を持つことを紹介してきた。ではこの脳を使って、昆虫はどのように世界を感じ取り、その変化に対応しているのだろうか? アリストテレスは著書『霊魂論(De Anima)』の中で、人間が外界を知覚するための感覚として、嗅覚、味覚、視覚、聴覚、触覚からなる五感を定義した。実は昆虫も、私たちと同じように、この「五感」を持つ。これらの感覚情報は、やはり私たちと同じように、眼や口などにある特定の感覚器で受け取られた後、脳や胸腹部神経節にあるそれぞれの1次感覚中枢で処理される。ではここから、感覚情報がどのように処理されるのか、その仕組みをひとつずつ見ていこう。

嗅覚

 バナナの匂い、りんごの匂い、焼き鳥の匂い、あるいは腐った食べ物の匂い。私たちの世界は匂いで充満している。この匂いを担うのは、空中を漂う「匂い物質」と呼ばれる低分子化合物である。このような匂い情報は、ショウジョウバエでは触角や小顎鬚と呼ばれる突起に生えている感覚子に埋め込まれている片側1300個の嗅覚ニューロンで受けとられ、神経活動に変換される(図7)。それぞれの嗅覚ニューロンは嗅覚受容体を原則として1種類だけ持っており、どの受容体が発現しているかによって、どの匂い物質に応答するかが決まる。このようにして生じた嗅覚ニューロンの神経活動は、長く伸びた神経突起を伝わって、脳の触角葉(嗅葉とも呼ばれる)と呼ばれる領野に送られる。触角葉は左右の脳半球にひとつずつあり、「糸球体」と呼ばれる神経線維が密に充填された球状の塊が寄り集まって形成されている(図8)。

図7.ショウジョウバエの触角と小顎鬚

 嗅覚ニューロン群は、発現している嗅覚受容体ごとに決まった糸球体に投射する。つまり糸球体には、それぞれ特定の嗅覚受容体が受け取った情報が集約されているのである。それぞれの匂い物質は複数種類の嗅覚受容体によって受容される。これが嗅覚受容体ごとに糸球体に集約されることによって、昆虫は匂い情報を糸球体ごとの組み合わせとしてコードしているのである。ちなみにこの糸球体の数は種によって多様で、ネッタイシマカでは32個、ショウジョウバエでは43個、ミツバチでは165個、ワタリバッタやスズメバチでは1000個を超える。このような嗅球の数は、それぞれの昆虫が感じている匂い情報の複雑さを反映しているのかもしれない。面白いことに、この糸球体が寄り集まる、という構造は、私たち哺乳類の嗅覚系の構造と非常によく似ている(図8)。また、昆虫でも哺乳類でも、個々の嗅覚ニューロンはそれぞれ1種類の嗅覚受容体を発現しており、特定の嗅覚受容体を発現する嗅覚ニューロンはひとつ、もしくは少数の決まった糸球体に情報を伝達する。それぞれの糸球体に伝えられた匂い情報は糸球体内で処理されたのち、さらに高次の脳領域に送られる。昆虫の脳と私たちの脳の構成原理は、実は結構似ているのである。このような類似性は、匂い情報処理システムの構造が、多様な化学構造を持つ膨大な種類の匂い物質を識別できるように最適化された結果として生じたのかもしれない。

図8.昆虫と脊椎動物における匂い情報を処理する仕組み

視覚

 視覚のシステムはどうだろうか。左右に一対しかない私たちの眼とは異なり、昆虫の視覚システムは複眼と単眼、という2種類の眼から構成される。単眼は明暗の感知に使われ、複眼は色や形の識別、さらには物体の動き検知などの、より複雑な視覚情報の受容に使われる。複眼は、それぞれにレンズを持つ個眼が集合して作られており、ショウジョウバエでは800個程度、トンボではなんと2万個ほどもある。では、ショウジョウバエの複眼をもっと詳しく見てみよう。
ショウジョウバエの複眼を構成する個眼は、それぞれ8個の視細胞(光受容体ニューロン)を持っている。このうち2個が色の、残り6個が物体の動きの検出に関わると言われている。これらの光受容体ニューロンで受容された視覚情報は、視葉と呼ばれる視覚中枢に送られる。昆虫の視葉は哺乳類の網膜と同じように、いくつかの種類の細胞集団を含む層構造を形成している(図9)。最近の研究から、物体の動きの検出を担う神経回路のデザインやその計算メカニズムが解明されてきており、昆虫と哺乳類で驚くほど似ていることがわかってきた。どちらの動物の動き検知システムでも、視覚刺激は情報処理の初期段階でオン経路(光刺激により活性化する経路)とオフ経路(光刺激により不活性化する経路)に分かれて伝わる。この2種類の経路は、ハエでは視葉のT4、T5と呼ばれる2種類の細胞に、げっ歯類ではオン型、オフ型と呼ばれる2種類のスターバースト・アマクリン細胞に伝わり、これらの細胞を起点とした脳内部の神経回路により、動きの方向情報が計算される。これらの細胞群が形成する神経回路の構造の類似性もまた、感覚情報処理機構が収斂進化した好例であろう。

図9.上:脊椎動物とハエの視覚情報処理の経路 下:視覚系における情報伝達

味覚

 私たちも昆虫も、甘いものが好きであるし、一般的には苦いものは苦手である。このような味を感じる感覚が味覚である。味覚と嗅覚は「化学物質を検出する感覚」という点でよく似ているが、嗅覚が空中を漂う化学物質を感じる感覚であるのに対し、味覚は身体に触れた化学物質を感じる感覚(接触化学感覚)の一種である。ヒトをはじめとした哺乳類の味覚受容は、口の中の柔らかな舌や軟口蓋にある味細胞で担われる。一方で、昆虫の味覚受容は、口(口器)の周辺に加えて、脚や翅、交尾器など、様々な身体部位に存在する味覚感覚毛の中にある味覚ニューロンで行なわれる。例えば、チョウは自分の前脚に砂糖水が触れると、口吻を伸ばしてそれを飲もうとする。これは、チョウの前脚にある味覚ニューロンが甘い水の存在を脳に伝えるからである。昆虫の交尾器にある味覚ニューロンは、産卵に適した場所を判別したり、精液中の物質を受容したりするが、翅にある味覚ニューロンがどのような機能を持つのかはまだよくわかっていない。
私たちの味覚は、甘味、塩味、苦味、旨味、酸味、といった基本味によって構成される。実際、ヒトの味細胞には、これら5種類の基本味に対応する種類があり、ある種の味覚細胞が特定の種類の化学物質に反応することで、私たちは甘みを感じたり苦味を感じたりするのである。ショウジョウバエの味覚ニューロンもまた、甘味、塩味、苦味(及び高濃度の塩味)、水(低浸透圧)に応答する4種類に大きく分けられる。この4種の細胞はセットになって、体液で満たされた感覚毛の中に神経突起を伸ばしている。基本味に応答する細胞がセットになっている構造は、脊椎動物の味蕾と似ている。

図10.甘味と苦味に反応するニューロン群。両者はそれぞれ別の領域に投射する。下段の図は、上段の図の白色の部位を大きくしたもの。

 昆虫の味覚ニューロンがどのような化学物質に応答するのかは、そのニューロンがどの味覚受容体を発現させているかで決まる。味覚受容体の数は動物種によって様々であり、哺乳類でも昆虫でも、糖の受容体分子の種類数は少ないが、苦味物質の受容体分子は種類数が多い。一方で、受容体をコードする遺伝子配列は、昆虫と哺乳類で全く異なる。これは、起源の異なる遺伝子が進化の過程でそれぞれ独立に糖や苦味などに応答するように収斂した結果であろう。
味覚物質によって引き起こされた味覚ニューロンの神経活動は、感覚毛に投射している神経突起とは逆側に延びるもうひとつの長い神経突起を通って脳や胸腹部神経節に送られる。脳においては、甘味と苦味に反応するニューロン群はそれぞれ別の領域に投射する(図10)。哺乳類においても大脳の味覚皮質の別の領域がそれぞれ甘味と苦味に応答することから、このように異なる味の情報を異なる脳の部位で処理することは、昆虫と哺乳類で共通する仕組みであるらしい。脳に送られた味の情報は、動物の特定の行動を引き起こす。ハエは甘味を感じると口吻を伸ばして餌を食べようとするし、苦味を感じると逆に食べなくなる。このような味に対する行動の「起きる/起きない」は、基本的には特定の味覚ニューロンの応答の「あり/なし」によって決まっている。例えばショウジョウバエでは、特定の感覚ニューロンがカプサイシン(トウガラシの辛味物質。ショウジョウバエに対しては、そのままでは特に摂食を促進も抑制もしない)に反応するように人為的な操作ができる。これを利用して、甘味を感じるニューロンがカプサイシンに反応するようにすると、ハエはカプサイシン水溶液を食べようとする。一方、苦味を感じるニューロンがカプサイシンに反応するようにすると、ハエはカプサイシン入りの餌を食べなくなる。このような、異なる味覚の情報が異なる経路によって混じり合うことなく中枢に伝達される情報システムは「ラベルドラインモデル」と呼ばれる。

聴覚

 興味深いことに、昆虫種間で共通の部位に受容体を持つ嗅覚や視覚のシステムと異なり、聴覚受容体の部位は、昆虫種ごとにかなり多様である。昆虫は少なくとも19回、独立に聴覚器官を獲得したと言われている。聴覚器官の位置も多様であり、バッタやコオロギでは脚、カマキリは胸部、セミでは腹部、そしてミツバチや蚊、ショウジョウバエでは触角に、それぞれ特殊化した聴覚器官を持つ。このように多様性に富む聴覚器官であるが、音を受容する原理は昆虫間でよく保存されている。音刺激によって生じる鼓膜の振動や関節のたわみを機械感覚ニューロンが検出し、中枢神経系に情報を伝えるのである。このような仕組みは、私たち哺乳類が鼓膜の振動を音として検出する仕組みと共通している。
昆虫の聴覚の例として、キイロショウジョウバエを取り上げる。キイロショウジョウバエやその近縁種のオスは、翅を震わせることで発せられる翅音を使ってメスに求愛する。この翅音は「求愛歌」と呼ばれ、それぞれの種によって少しずつ異なる「リズム」を持っている。求愛歌は、ショウジョウバエの生涯で最も重要な音である。もしハエが間違って自分とは異なる種と交尾してしまった場合、生まれる仔は少なく、また仔の適応度も低い。つまり、「正しい」種と交尾してたくさんの子孫を残すには、自分の種の求愛歌を聞き分ける聴覚が非常に重要なのである。
昆虫は、「ジョンストン器官」という、触角のたわみを検出する感覚器官を持つ(図11)。ショウジョウバエはこのジョンストン器官を「耳」として使っている。この器官の中には約480個の機械感覚ニューロン(ジョンストンニューロン)が入っている。このうち半分以上が音を主に受容する聴覚ニューロンであり、残りは主に重力方向や風向きを検出する細胞として機能している。私たちの耳が聴覚や重力感覚の受容を担うのと同様に、ハエのジョンストン器官もまた、聴覚と重力感覚というふたつの異なる感覚の受容を司っているのである。

図11.ショウジョウバエの聴覚器。ジョンストン器官は触角第2節に内包されている。アリスタの振動により、有桿感覚子の集合体であるジョンストン器官が張力を受けて、内在性のジョンストンニューロンが興奮する。


【ショウジョウバエのジョンストン器官の動画:ジョンストンニューロンの細胞体(青)、細胞体と軸索(緑)、有桿細胞(赤)を示す】

 聴覚刺激や重力感覚刺激は、機械感覚ニューロンの特定の集団を興奮させて、脳へ情報として伝えられる。音刺激を伝える聴覚ニューロンは、それぞれもっともよく応答する周波数(音の高さ)の異なる3種類の小集団ごとに、脳の1次聴覚中枢の特定の領域に情報を送っている(図12)。つまり、ハエの「耳」で受け取られた音の周波数の情報は、聴覚器の段階で3種類に振り分けられる。私たち哺乳類の耳も、受け取った音をその高さに従って分解する、という処理を担っている。音の情報処理の仕組みも、ハエとヒトとでよく似ているようである。

図12.ショウジョウバエの「耳」から脳への神経投射。
A:脳の中にある情報伝達先。
B:情報伝達先の拡大図。「耳」の中にある、音刺激を伝える聴覚ニューロンは、それぞれ周波数(音の高さ)特性の異なる3種類の小集団ごとに、脳の特定領域に情報を送っている(図中、赤色、緑色、オレンジ色の領域)。重力や風向きを検出する2種類の機械感覚ニューロンは、音情報が伝達される領域とは別の領域に、それぞれ情報を送る(水色、青色の領域)。

体性感覚

 2017年、東京大学の伊藤啓博士らの研究チームによって、ショウジョウバエの感覚器官の中で最も解明が進んでいなかった体性感覚ニューロンの投射地図が、ついに解明された。体性感覚とは、体表に散らばる受容体で検知する、痛み、温度、体毛の接触、皮膚の進展や変形、関節の曲がりや動き、といった様々な感覚である。先に挙げた五感の「触覚」も、この体性感覚に含まれる。これらの感覚情報を脳に伝えるニューロン群を順番に解析したところ、感覚情報の種類ごとに、脳や胸腹部神経節の異なる場所に情報が送られることがわかった(図13)。哺乳類でも、体性感覚の情報はその種類ごとに視床の異なる場所に投射することが知られている。ショウジョウバエでも哺乳類でも、脳の中にある体性感覚地図の基本構造は、やはりよく似ているようである。
このように、私たちが感じる感覚は大抵、昆虫も感じることができ、その情報を処理する神経回路には類似性が見られる。このような類似性は、地球上の長い進化の歴史の中で、昆虫と脊椎動物が辿り着いた、ある適応的な情報処理デザインの帰結なのであろう。

図13.ショウジョウバエでも、感覚情報の種類ごとに、脳や胸腹部神経節の異なる場所に情報が送られる。

昆虫も覚え、学ぶ

 「僕の記憶は80分しかもたない」。これは、『博士の愛した数式』に出てくる元大学教授の背広の袖に留められていたメモの内容である。「忘れっぽいのは素敵なことです、そうじゃないですか」。これは、中島みゆきの歌である。このように、記憶は私たちの人生を彩り、また私たちの運命を左右する。では昆虫も、このような記憶能力を持つのだろうか?
実は昆虫の中には、驚くほどの記憶力を示す種類もいる。その代表例はミツバチである。セイヨウミツバチ(Apis mellifera)は古くから記憶研究のモデル動物として扱われてきた。オーストリアの動物行動学者であるカール・フォン・フリッシュ博士(1886〜1982年)は、ミツバチのコミュニケーション手段としての8の字ダンス(尻振りダンスともいう)とその意味を発見し、ノーベル生理学・医学賞を授与された。8の字ダンスとは、働きバチが花などの餌場の位置を記憶し、仲間にその情報を伝えるダンスである。巣に戻った働きバチは巣板の上で翅を震わせながら、8の字を描くようにぐるぐると歩き回る。カール・フォン・フリッシュ博士は1967年に、この翅を震わせながら進む8の字の方向が花の方向を、翅を震わせる時間が花への距離を示すことを報告した(図14)。仲間の働きバチはこのダンスを踊っているハチに追随することで、餌場までの距離と方向、さらにはダンス中に感じ取った匂いの情報を記憶する。そのおかげで、聞き手の働きバチも無事に指示された餌場へとたどり着けるのである。この8の字ダンスは、ミツバチが餌の場所を覚え、他者に伝える能力を持つことを示している。
ミツバチ以外の多くの昆虫もまた、多かれ少なかれ、記憶力を持つ。Wood cricketと呼ばれるコオロギ(Nemobius sylvestris)は、経験豊かな仲間が捕食者である蜘蛛から逃れるために葉っぱの下に隠れる、という行動を観察して記憶することで、自分も葉の下に隠れる、という行動ができるようになる。自然界で生き抜くためには、このような記憶力が必要なのである。

コラム:科学分野のスーパーエリート昆虫
キイロショウジョウバエは、100年以上前から実験動物として世界中で使われている、売れっ子の昆虫である。そのため、ショウジョウバエの脳や身体の仕組み、さらにはそれらを作り上げる発生の仕組みは、昆虫の中で最もよく研究されている。2017年のノーベル生理学・医学賞は、ショウジョウバエを使って日周期のリズムの仕組みを発見した研究者3名(ジェフリー・ホール博士、マイケル・ロスバッシュ博士、マイケル・ヤング博士)に与えられた。実はこれまで、ショウジョウバエを使った研究はいくつものノーベル賞をとっているのである。

 記憶力を示すもうひとつの面白い例として、キイロショウジョウバエで見つかった「失恋記憶」を紹介しよう。ショウジョウバエのオスは、前述のように求愛歌などの手段を駆使して、メスに気に入られようと必死にアピールする。しかしその努力もむなしく、メスに拒否されてしまうことも多い。大量に精子を作ることのできるオスと比べて、卵数の少ないメスは、配偶者をより厳しく選ばなければならないのである。そしてこの「失恋」はオスにとっては相当痛手であり、失恋を経験したオスは、その後しばらくのあいだメスに対して求愛を行なわなくなる。この現象は1979年にジェフリー・ホール博士(2017年のノーベル生理学・医学賞の受賞者)らによって発見され、ショウジョウバエの記憶力を測定する実験として、これまで広く用いられている。失恋の痛手が癒えずに新しい恋ができないという読者のみなさんは、このハエのいじらしい行動を心の慰めにしてほしい。

図14.ミツバチの8の字ダンス

 さて、昆虫の記憶は、彼らの脳のどこに蓄えられているのだろうか? これまでの研究から、昆虫の脳の記憶中枢として、脳の上側にある一対の「キノコ体」と呼ばれる領野が見つかってきた。キノコ体は、その名の通り、キノコのような形をした、脳の左右に一対ある領野であり、嗅覚、視覚、機械感覚などの感覚情報を受け取る入力区画(キノコの傘の部分)と、それらの情報をまとめて計算した結果を出力する出力区画(キノコの柄の部分)に分かれている。キノコ体を構成するニューロンの細胞体は「傘」の部分に密集しており、片側のキノコ体あたりの細胞数は、ショウジョウバエで約2200、イエバエで約2万1000、ゴキブリ約20万、ミツバチでは約16万個と言われている。このように、ゴキブリやミツバチといった賢そうな昆虫において、キノコ体が大きく発達しているように見えるが、キノコ体に含まれる細胞数と記憶力の関係は明らかではない。
ミツバチの記憶力とキノコ体の関係は、ベルリン自由大学(ドイツ)のランドルフ・メンツェル博士らのグループにより研究されてきた。メンツェル博士らが行なった、ミツバチの記憶力を測る実験風景を紹介しよう。まずは働きバチを実験容器に固定する。顔は実験容器から出ており、触角や口吻は自由に動かせる。このハチを落ち着かせた後、いよいよ実験を開始する。ここで行なうのは「パブロフの犬」で有名な、「連合学習」と呼ばれる実験である。本来何の意味も持たない刺激(ベルの音)を報酬(餌)の直前に与え続けることで、ふたつの情報が脳内で結びつき、学習後にはベルの音を聞くだけで報酬を得た時と同じ応答(唾液の分泌)が引き起こされるようになる、というのが、イワン・パブロフ博士が犬を使って行なった実験である。ミツバチの場合には、意味を持たない刺激として特定の匂いを嗅がせ、その直後に報酬として砂糖水を与える。これを何度か繰り返すと、ハチはふたつの情報を結びつけて記憶し、その後1週間程度は、匂いを嗅がせるだけで、口吻を伸ばして砂糖水を吸おうとする。記憶力とキノコ体の関係は、このように訓練したハチを用いて明らかにされた。キノコ体を局所的に冷却すると、この連合学習が成立しなくなることから、匂いの連合学習の主な舞台がこれらの領域であることがわかったのである。
ショウジョウバエも、匂い連合学習を行なうことができる。例えば、特定の匂いと電気ショックを同時に与えるとその匂いを嫌いになるし、逆に砂糖水を同時に与えるとその匂いを好きになる。ショウジョウバエの匂い記憶の中枢もまた、キノコ体である。これまでショウジョウバエの分子遺伝学を利用した一連の研究により、匂い記憶のメカニズムが解明されてきた。例えば、環状アデノシン1リン酸(cAMP)という細胞内情報伝達物質は、記憶の形成を担う重要な役者であり、その合成酵素をコードするrutabagaという遺伝子や分解酵素をコードするdunceという遺伝子の変異は記憶異常を引き起こす。また、キノコ体に神経投射するドーパミン作動性ニューロンから放出されるドーパミンが「好き」「嫌い」といった情報を伝えること、これらのドーパミン作動性ニューロンは「好き」「嫌い」で役割分担しており、それぞれキノコ体内部の別々の領域に投射していることや、キノコ体を構成する別々のニューロンが、記憶の形成、固定、読み出しといった別々の素過程をそれぞれ制御することなどもわかってきた。このように、分子遺伝学的ツールを駆使できるショウジョウバエの脳を用いることで、記憶を担う分子機構や神経回路機構の包括的な理解が達成されつつあるのである。

昆虫の社会性と分業

 ヒトやサルと同じように、いくつかの昆虫も群れで協力しながら暮らしている。特にミツバチやアリ、シロアリなどの真社会性昆虫と呼ばれるグループは、それぞれの個体が固有な生理状態と行動様式を持つことで、「社会」に貢献する性質を持つ。彼らは、特定のタスクに特化したカーストに分化して、コロニーを維持するための仕事を分担する。彼らの脳はこのような仕事の分担(分業)に伴って分化する。ここでは、この昆虫の社会性と脳の関係について紹介しよう。
ミツバチは古くから人間と共存してきた昆虫である。紀元前6000年のスペインのアラニア洞窟の壁画にはミツバチの巣からハチミツを採集している人の絵が描かれているし、紀元前2500年の古代エジプトの壁画には養蜂の様子が描かれている。日本では、セイヨウミツバチとニホンミツバチ(Apis cerana japonica)が養蜂業に使われており、美味しい蜂蜜やローヤルゼリーの生産には欠かせない。また、農業では重要なポリネーター(花粉媒介者)でもある。

ミツバチの分業と脳

 ミツバチの脳はおよそ1立方ミリメートルの容量であり、ニューロンの数は96万個ほどとされている(図15)。ヒトの脳のニューロン数は1000億個以上と推定されていることを考えると、実に小規模な脳である。しかし昆虫の中では、ゴキブリと並んで最もハイスペックな脳を持つ昆虫として知られているのが、このミツバチである。

図15.ミツバチの脳

 では、ミツバチの脳は他の昆虫と比べて、どのような特徴を持つのだろうか? それを見る前にまず、ミツバチの暮らしぶりを紹介しよう。ミツバチは蜜蝋でできた巣の中で「コロニー」という単位で共同生活をしている。コロニーの中には、女王バチが1匹と、多くの雄バチ、さらに多くの働きバチが住んでいる。さらにその足元には、巣穴に入れられたたくさんの幼虫がうごめいている。このような大世帯だが、コロニー維持のための実質的な仕事を担うのは、働きバチだけである。彼女たちは(働きバチは全てメスである)羽化後から1〜2週間くらいまでの若いうちは、巣の中で女王バチが産んだ幼虫の世話をかいがいしく行なう。少し日齢が進むと、門番役として巣を守り、天敵であるスズメバチの来襲があれば巣の入り口に出て防衛行動を行なう。もっと日齢を経た壮年期の働きバチは巣の外に出て、たくさんの花から蜜や花粉を集め、また仲間の働きバチに8の字ダンスで餌場の位置を教えるようになる。一方、ロイヤルゼリーを食べて大きくなった幼虫から生まれる女王バチは、このような労働を一切行なわない。結婚飛行でオスと交尾した後は、巣の中で産卵に専念する。長くても数カ月程度で寿命を迎える働きバチと比べて女王はかなり長命であり、2〜3年間生き続ける。このように、ミツバチのコロニーは産卵に特化した女王バチと、幼虫の世話や採餌を行なう働きバチが分業をすることによって成立しているのである。このような複雑な社会を効率的に維持するために、ミツバチの脳は発達してきたのかもしれない。
東京大学の久保健雄博士らは、脳の高次中枢であるキノコ体の大幅な発達こそがミツバチの社会性を担うメカニズムなのではないか、と考え、働きバチのキノコ体で発現する遺伝子を大規模に探索した。その結果、ミツバチでは、キノコ体を構成するケニヨン細胞が、細胞体の大きさと位置、遺伝子発現プロフィルが異なる、「大型」「中間型」「小型」という3種類のサブタイプに分かれることがわかってきた。その遺伝子発現パターンにもとづき、各サブタイプは、それぞれ異なる機能を担うことが示唆されてきた。例えば、大型ケニヨン細胞では、細胞内カルシウム情報伝達系に関わる一連のタンパク質(イノシトール3リン酸受容体、カルシウム・カルモジュリン依存性タンパク質キナーゼⅡ、プロテインキナーゼCなど)の遺伝子が特に強く発現することから、「記憶・学習」の座と考えられている。一方、小型ケニヨン細胞では、昆虫のステロイドホルモンであるエクジソンの受容体が強く発現することから、ホルモンの作用によりその神経機能が「調節」され、それが働きハチの分業のベースとなっている可能性が指摘されている。中間型ケニヨン細胞の解析はまだ始まったばかりであるが、機能未知のmKastと名付けられた遺伝子が強く発現することが判明した。
真社会性ではないハチの脳では、このようなケニヨン細胞のサブタイプの機能分化は起こっているのであろうか。ハチ目昆虫のうち、最も原始的なハバチ亜目は単独性で植物食であり、その次に進化したハチ亜目の有錐類(コマユバチなど)は単独性で寄生性(肉食)である。有錐類からさらに進化した有剣類(スズメバチ、ミツバチ、ツチバチなど)は子のために巣を作るという行動様式(営巣性)を獲得し、さらにその中から真社会性のミツバチが出現してきたのである。面白いことに、ミツバチで見られる「大型」「中間型」「小型」というケニヨン細胞の3種類のサブタイプは、ハチ目昆虫の行動進化に伴って順次、獲得されてきたようである(図16)。ケニヨン細胞のサブタイプを様々な種類のハチで調べてみると、ハバチの仲間のルリチュウレンジ(Arge similis)では1種類しか持たないが、有錐類のハマキコウラコマユバチ(Ascogaster reticulate)では2種類、有剣類のオオスズメバチ(Vespa mandarinia)やキンケハラナガツチバチ(Campsomeris prismatica)では、ミツバチと同様に3種類、持つことが判明したのである。寄生性の獲得(寄主を探索する能力が必要となる)や営巣性の獲得(帰巣のための高度な記憶・学習能力や、営巣技術が必要となる)によって、脳で処理しなければならない情報の量や種類が格段に増えたことが、このようなニューロンの種類の増加をもたらしたと考えられる。

図16.ハチ目昆虫のキノコ体を構成するケニヨン細胞サブタイプの種類[Oya, S.ら(2017)より作成]

 一方、福岡大学の藍浩之博士らは、ミツバチのコミュニケーションを支える神経機構として、脳内の聴覚中枢に着目した。前述のように、8の字ダンス中の羽ばたき時間は餌場への距離を示す。そこで藍博士らは、ミツバチが行なうダンスで生じる特徴的な時間パターンの空気の振動、つまり音を聴くことで、この羽ばたき時間を測っているのではないかと考えた。ダンス中の羽ばたきは、局所的な空気流を生み出すからである。そこで、彼女らがどのようにして音を聞き、その情報を処理しているのかを理解するために、聴覚中枢の内部にあるたくさんのニューロンを集中的に解析した。ミツバチもショウジョウバエと同じように触角にあるジョンストン器官によって音を聞いている。ミツバチの脳に極細の電極を差し込んでそれぞれのニューロンから活動を記録している間に、羽ばたきにより発せられる音を真似た時間パターンで触角を振動させると、音によく応答する一連のニューロン群が発見された。あるものは振動中に応答しつづけ、あるものは振動の開始する時のみに応答した。これらのニューロンから入力を受けるニューロンがどのようにダンスの距離解読に関わる情報処理を行なっているかはまだ不明だが、ミツバチのコミュニケーションに聴覚中枢が重要な役割を担っていることは間違いないだろう。

シロアリの分業と脳

 次に、ハチとは全く異なる系統であるにもかかわらず、同じくらい複雑な社会性を進化させた昆虫を紹介しよう。シロアリである。シロアリは、私たちの家を破壊する憎き敵、と思われる読者も多いかもしれない。しかし彼らは自然界においてはミミズやキノコなどと同様に木や草を土に還す分解者として重要な役割を担っている。シロアリはその名からアリの仲間と思われることもあるが、実はゴキブリと近縁の不完全変態昆虫である。多くのゴキブリもまた森林に生息し、落ち葉などを食べるおとなしい分解者である。シロアリはその中でも食材性のキゴキブリと近縁であり、木を食べるゴキブリから進化したと考えられている。
シロアリも、ミツバチと同様にコロニーという単位の集団を形成して暮らしている。コロニーの中にいるカーストは、大きく分けて王や女王、働きシロアリ、兵隊シロアリの3種類である。成熟したコロニーに住むシロアリの王や女王は産卵に専念し、働きシロアリは幼虫の世話や採餌を行なう。シロアリに独特な点は、コロニーの防衛を専任する兵隊シロアリがいることである。兵隊は大顎や毒腺など発達した武器を持ち、アリなどの外敵に勇敢に立ち向かう。ほぼ同じ遺伝的背景を持つ個体が、どのように臆病な働きシロアリと勇敢な兵隊シロアリに分化するのだろうか? 最近、シロアリの脳内に存在する神経修飾物質がこの攻撃性に重要な役割を果たすことがわかってきた。兵隊シロアリの脳内には、チラミンと呼ばれる神経修飾物質が多く存在し、またチラミン分泌ニューロンも肥大化しているのである。さらに、普段は臆病な働きシロアリにチラミンを投与すると、積極的に外敵に攻撃するようになった。このことから、兵隊シロアリと働きシロアリの役割分担には、チラミンが重要な役割を果たしていることがわかった。
兵隊の脳では、敵に攻撃するときに用いる脳部位もまた、特殊な変化を遂げている。シロアリの脳に存在する大顎運動ニューロンは、外敵に咬みつく大顎を動かす時に使われる。この大顎運動ニューロンが兵隊では肥大化しているのである。この肥大化のパターンは兵隊の攻撃スタイルによって異なる。兵隊シロアリは、種によって、外敵に大顎で咬みつく「噛みつき型」と、頭の先端にある角からスプレーのように毒液を噴射する「スプレー型」が存在する。噛みつき型兵隊の大顎運動ニューロンは全て大きいのに対し、スプレー型兵隊のニューロンは大きいものと小さいものが混在している。これは、スプレー型兵隊が大顎を動かす筋肉の一部のみをスプレー攻撃に転用しているため、攻撃に使う運動ニューロンのみを発達させたことによるものだと考えられる。
このように、シロアリはカースト分化とともに脳の様々な部位を変化させて、分業を成立させているのである。シロアリでは幼若ホルモンというホルモンの量が、カースト分化を決めている。このシグナル伝達経路が何らかの形で脳の変化をもたらしていると考えられるが、詳細はまだわかっていない。


【動画】シロアリの
攻撃行動

脳の機能を支える分子レベルの仕組みと遺伝子

生殖/求愛行動を制御する仕組み

 異性を探し、相手にアピールし(あるいはそれを評価し)、交尾を成立させるという一連の生殖行動は、有性生殖を行なう動物にとって最も重要な行動である。ミンミンゼミの鳴き声やアオアシアホウドリのダンス、カワセミの婚姻贈呈など、動物は種に固有の求愛行動や、それを評価する機構を進化させてきた。このような多種多様な求愛行動をつつがなく実現することもまた、脳の重要な機能である。
キイロショウジョウバエのオスも、メスに対して求愛行動を行なう。メスらしき相手を見つけたオスは、相手の身体を前脚で触って、相手の種や性を確かめる。相手が同種のメスだとわかると、オスは片方の翅を交互に震わせて求愛歌を奏でながらメスを追いかける。メスは、最初はオスに冷たく逃げ回るが、オスが魅力的であると気づくと徐々にその速度を緩めていく。メスがオスを受け入れれば交尾が成立する。
未来ICT研究所の山元大輔博士らと北海道教育大学の木村賢一博士らのグループは、オスの求愛行動に重要な役割を果たす神経回路とその発生を司る遺伝子を明らかにしてきた。山元博士らは、キイロショウジョウバエで古くから行なわれている変異体スクリーニングを実施し、オスがメスに対して全く求愛をしない変異体を見つけた。satoriと名付けられたこの変異体は、fruitless(fru)遺伝子という性決定カスケードの一員に変異を持つことがわかった。この遺伝子は、性特異的なスプライシングを受けて雄でのみ、その遺伝子産物(FruMタンパク質)をニューロンの一部に産生する(Mはオス特異的という意味)。そのアミノ酸配列を見ると、FruMタンパク質は遺伝子の発現を調節する転写因子として機能するようである。このことからfru遺伝子は、脳の性差を生み出す役割を持つことが予想された。


【動画】キイロショウジョウバエの
求愛行動の動画


【動画】キイロショウジョウバエの
求愛歌

 では、脳の性差、あるいはオス特異的な神経回路とは具体的にはどのようなものなのだろうか? 山元博士らはfru遺伝子を発現するニューロン群に着目した。分子遺伝学的な方法でfru遺伝子を発現するニューロン群のひとつひとつを観察すると、ニューロンの数や形に性差があることがわかった。あるものはオスでのみ存在し、あるものはオスとメスで異なる形をしていたのである。さらにこの性差はFruMタンパク質の有無によって作り出されていた。こうして作り上げられたオスに特徴的な回路が、オスの求愛行動にも重要な役割を果たしていることについてもわかってきた。ショウジョウバエでは、熱や光によって特定のニューロンの活動を人為的に操作するツールがいくつも開発されている。これを用いてfru遺伝子発現ニューロンの神経活動を人為的に活性化させると、オスは目の前にメスがいなくてもたった1匹で求愛を始める。fru遺伝子発現ニューロンの中でもP1と呼ばれるニューロン群はオスにのみ存在する特別なニューロン群であり、驚くことに、この20個ほどのニューロンを人為的に活性化させるだけで、オスは求愛行動を行なう。またその後の研究で、P1以外にも様々なfru遺伝子発現ニューロンがオスの求愛行動を制御していることが明らかになった。fru遺伝子はまさにオスの求愛のマスターコントロール遺伝子なのである。
求愛行動は近縁種間でもよく多様化している。ヨーロッパに分布するショウジョウバエの一種D. subobscuraのオスは、一風変わった求愛を行なう。特に特徴的なのは、交尾前のメスに対して口吻を伸ばし、口移しで餌を与える行動である。このような異性へ贈り物をする行動は婚姻贈呈と呼ばれ、哺乳類や鳥、昆虫などで広く見られる。D. subobscuraのメスは、オスから餌を受け取ることによって、飢餓状態における産卵数の低下を回復させることがわかっている。オスは、自分の相手のメスに餌を与えることで、自身の子をより多く残すことができるのである。キイロショウジョウバエを含め、D. subobscuraの近縁種にこのような婚姻贈呈を行なう種はいない。つまり、D. subobscuraは独自にこの婚姻贈呈を進化させたと考えられる。このような新たな行動の出現は、どのように生じたのだろうか? 近年、山元博士らはD. subobscuraのfru遺伝子発現ニューロンの神経活動を前述と同様の方法で人為的に活性化させると、オスが口吻を伸ばして餌を吐き戻す、婚姻贈呈の際に見られる行動を示すことを明らかにした。この風変わりな求愛行動の進化にもまた、fru遺伝子発現ニューロンが寄与していることが予想される。今後、このfru遺伝子発現ニューロンをさらに細分化して解析していくことで、どのような神経回路の変化が婚姻贈呈の進化をもたらしたのが明らかになるであろう。


【動画】ショウジョウバエ
(Drosophila subobscura)の婚姻贈呈[提供:田中良弥博士(名古屋大学)]

攻撃行動を制御する仕組み

 攻撃行動は、自分の利益を守るために多くの動物が示す本能的な行動である。昆虫や甲殻類といった節足動物から、魚類やげっ歯類、サルなどといった脊椎動物まで実に多くの動物を使って、攻撃行動のメカニズムが研究されている。
昆虫が示す攻撃行動のうちで最も有名なもののひとつは、コオロギの喧嘩であろう。中国の「闘蟋」という遊びをご存知であろうか? これは、秋にコオロギのオス同士を戦わせて虫王を決める競技である。清朝最後の皇帝の生涯を描いた映画『ラストエンペラー』をご覧になった読者は、そのようなシーンがあったことを思い出されるであろう。
ショウジョウバエも喧嘩する。オスは互いに、配偶相手のメスや食べ物をめぐって争い、メスもまたメス同士で食べ物をめぐって争う。このような喧嘩の勃発やその激しさを制御する攻撃性は、先天的な遺伝要因や後天的な環境(経験)要因によって劇的に変化する。経験が攻撃性に与える影響として最も有名なのは、負け効果である。喧嘩に負けた経験は、その個体の攻撃性を低下させるのである。このような「敗北のトラウマ」は、昆虫から脊椎動物まで様々な動物で見られる現象であり、動物の基本的な生存戦略だと考えられている。
セロトニンと呼ばれる神経修飾物質は、脊椎動物でも無脊椎動物でも攻撃性を制御する。ショウジョウバエでも、セロトニンを放出するニューロン群を活性化すると攻撃性が上昇する。また、オクトパミンと呼ばれる神経修飾物質も、攻撃性を保つのに必要である。コオロギでも古くから、このオクトパミンが攻撃性を上げることが知られていた。また、オクトパミンの前駆体であるチラミンは、前述の通りシロアリの防衛行動を上昇させる。これらの神経修飾物質は全て、ひとつのアミノ基がふたつの炭素から成る鎖により芳香環につながる化学構造を持つ、モノアミンと呼ばれる低分子化合物に分類される。モノアミンは哺乳類も含めた様々な動物において、脳機能に影響を与える。さらにモノアミンを分泌するニューロンの投射は脳の広範な部位に及び、多様な調節効果を持つ。このようなモノアミン系を使った攻撃性の調節は、脊椎動物と無脊椎動物で共通して獲得した攻撃制御機構である。
神経ペプチドもまた、動物の様々な行動を制御することが知られている。ここに着目したカリフォルニア工科大学の朝比奈健太博士(現在はソーク研究所)とデービッド・アンダーソン教授らのグループは、ショウジョウバエの攻撃性がどのような神経ペプチドによって制御されるのかを徹底的に追求した。朝比奈博士らは、神経ペプチドをコードする約20種類の遺伝子に着目し、「熱遺伝学」という実験手法を使って、それらの遺伝子が発現するニューロンを片っ端から人為的に興奮させたのである。その結果、神経ペプチドの一種であるタキキニンの重要性が発見された。脳内にたくさんあるタキキニンを発現するニューロンのうち、前述のFruMタンパク質を共発現するニューロンが、ショウジョウバエのオスの攻撃行動を制御することがわかったのである。このニューロンはオス特異的であり、脳の片側に5個程度存在する。このニューロンを興奮させるとオス同士の攻撃行動が激化し、逆に抑制すると攻撃行動は低下する。また、タキキニン受容体のひとつであるTakr86Cをコードする遺伝子を欠失したオスは、これらのニューロンを興奮させても攻撃性は上がらない。
タキキニンは動物において広く存在するペプチドファミリーであり、哺乳類にも存在する。マウスやヒトでは、タキキニンは3つの遺伝子にコードされている。これらの遺伝子から発現する長いペプチド鎖が分解され、短いペプチド鎖となって放出される。そのひとつが「サブスタンスP」と呼ばれる神経ペプチドである。哺乳類でも、このサブスタンスPと攻撃性との関わりが指摘されている。タキキニンペプチドを介した攻撃制御機構は、動物の攻撃性を制御する、一般的なメカニズムなのかもしれない。

 昆虫は、小さな脳を用いて実に多彩な行動をとるため、古くから脳研究の題材となってきた。最近の遺伝子操作技術の目覚しい発達により、脳研究における昆虫の存在感がますます増してきている。また、昆虫の脳の仕組みを応用した人工知能や小型ロボットなどの研究開発も加速してきた。身近な昆虫の脳は、サイズこそとても小さいけれど、私たち人類の未来を切り拓く大きな存在なのである。

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ミエリン鞘はとも呼ばれ、軸索に巻き付いて絶縁体として働く構造である。これにより神経パルスはミエリン鞘の間隙を跳躍的に伝わる(跳躍伝導)ことで神経伝達が高速になる。ミエリン鞘は末梢神経系の神経ではシュワン細胞、中枢神経系ではオリゴデンドロサイトから構成される。

脳の中にある空洞のこと。脳脊髄液で満たされている。脊髄にあるものは中心管と呼ばれる。

神経堤細胞は脊椎動物の発生時に見られる神経管に隣接した組織。頭部では神経、骨、軟骨、甲状腺、眼、結合組織などの一部に分化する。

細胞の生体膜(細胞膜や内膜など)にある膜貫通タンパク質の一種で、特定のイオンを選択的に通過させる孔をつくるものを総称してチャネルと呼ぶ。筒状の構造をしていて、イオンチャネルタンパク質が刺激を受けると筒の孔が開き、ナトリウムやカルシウムなどのイオンを通過させることで、細胞膜で厳密に区切られた細胞の内外のイオンの行き来を制御している。刺激の受け方は種類によって多様で、cGMPが結合すると筒の穴が開くものをcGMP依存性イオンチャネルと呼ぶ。TRPチャネルも複数のファミリーからなるイオンチャネルの一群であり、非選択性の陽イオンチャネルである。発見された際に用いられた活性化因子の頭文字や構造的特徴から、A (Ankyrin), C (canonical), M (melastatin), ML (mucolipin), N (no mechanoreceptor), P (polycystin), V(vanilloid)の7つのサブファミリーに分類されている。TRPは、細胞内や細胞外の様々な刺激によって活性化してセンサーとして働いたり、シグナルを変換したり増幅したりするトランスデューサーとしての機能も併せ持つ。温度センサーやトウガラシに含まれるカプサイシンのセンサーとしても機能していることが知られている。

任意の遺伝子の転写産物(mRNA)の相同な2本鎖RNAを人工的に合成し生物体内に導入することで、2本鎖RNAが相同部分を切断して遺伝子の発現を抑制する手法。2006年には、この手法の功績者がノーベル生理・医学賞を受賞している。

様々な動物種間で塩基配列やアミノ酸配列を比較することによって、類似性や相違を明らかにする手法。この解析によって動物種間の近縁関係や進化の過程を予測することが可能になる。

発生過程で神経管を裏打ちする中胚葉組織であり、頭索類・尾索類では背骨のような支持組織としての役割を持つ。脊椎動物では運動ニューロンの分化を誘導するなど発生学的役割を持つ

魚類に顕著にみられる鰓のスリットで、哺乳類では発生の初期にはみられる。発生が進むと複雑な形態形成変化が起き、消失するが、外耳孔などは鰓裂の名残ということができる。

動物の初期発生において最初の形態形成運動として原腸陥入が起こる。原腸は消化管に分化する。この原腸陥入によって生じる「孔」を原口と呼ぶが、これが将来の動物の体の口になるのが前口動物であり、肛門になるのが後口動物である。半索動物、脊索動物は後口動物である。

ナマコの幼生のことをオーリクラリア幼生と呼ぶが、ウニのプルテウス幼生、ヒトデのビピンナリア幼生、ギボシムシのトルナリア幼生など、形態的共通性をもつ幼生全体をまとめてオーリクラリア(型)幼生と呼ぶ。今日ではディプルールラ型幼生という呼び方が広く使われている。この説はガルスタングが1928年に提唱した。その時代にはオーリクラリアという用語が使われたため(ディプリュールラ説ではなく)オーリクラリア説と呼ばれている。

Hox遺伝子はショウジョウバエで発見されたホメオティック遺伝子の相同遺伝子である。無脊椎動物のゲノムには基本的に1つのHoxクラスターがあり、脊椎動物のゲノムには4つのHoxクラスターがある。Hoxb1は4つあるクラスターのうちのBクラスターに属する1番目のHox遺伝子という意味である。

脊椎動物胚の後脳領域には頭尾軸にそった分節性(等間隔の仕切り)がみられる。この各分節をロンボメアと呼び、図14に示すように7番目までは形態的に明瞭に観察できる。

脊椎動物のゲノムにはふたつか3つのIsletが存在する。Isletは脳幹(延髄、橋、中脳)の運動性脳神経核に発現して、運動ニューロンの分化に関与している。

感桿型では光刺激はホスホリパーゼCとイノシトールリン酸経路を活性化させる。繊毛型ではホスホジエステラーゼによる環状GMPの代謝が関与している。

気嚢による換気システムは獣脚類と呼ばれる恐竜から鳥類に至る系統で段階的に進化していったと考えられる。

このような特異な形態は胚発生期には見られず、生後に発達する。その過程は頭骨に見られる「テレスコーピング現象」と並行して進む。

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31. Janvier, P. (2015) Facts and fancies about early fossil chordates and vertebrates. Nature, 520(7548), 483.

卵や精子、その元となる始原生殖細胞などを指し、子孫に遺伝情報が引き継がれる細胞そのものである。

卵や精子を作る減数分裂において、母由来の染色体と父由来の染色体が対合したときに、同じ領域がランダムに入れ替わる(組み換えられる)。つまり、我々の”配偶子の”染色体は、父親と母親由来の染色体がモザイク状に入り交じったものなのである(体細胞の染色体は免疫グロブリンなどの一部の領域を除いて基本的には均一なものと考えられている)。

 タンパク質にコードされる遺伝情報をもつ塩基配列。狭義にはゲノムDNAのうち、mRNAに転写され、タンパク質になる部分。近年は、タンパク質に翻訳されないものの、機能をもつtRNA、rRNAやノンコーディングRNAなども遺伝子の中に含められるようになっている。本書では、特に注意書きのない限り、タンパク質の元となるmRNAになる部分を遺伝子、と呼ぶ。

 では、その転写因子はなにが発現させるのか、というと、やはり別の転写因子である。卵の段階から、母親からmRNAとして最初期に発現する遺伝子は受け取っているので(母性RNA)、発生の最初期に使う転写因子を含む遺伝子群に関しては、転写の必要がないのである。その後、発生、分化が進んでいくと、それぞれの細胞集団に必要な転写因子が発現し、実際に機能をもつ遺伝子の転写を促す。

遺伝子は、核酸配列の連続した3塩基(コドンと呼ばれる)が1アミノ酸に対応し、順々にペプチド結合で繋げられてタンパク質となる。3つの塩基は43=64通りになるが、アミノ酸の数は20個、stopコドンを含めても21種類しかない。したがって、同じアミノ酸をコードするコドンは複数あり、たとえ変異が入ってもアミノ酸は変わらないことがある。これを同義置換と呼ぶ。一方で、変異によってコードするアミノ酸が変わってしまう置換を非同義置換と呼ぶ。

 ふたつの系統が祖先を共通にした最後の年代。本章では、近年の分岐年代推定を利用して作成された系統樹(当該文献[9]のFig.1を参照)からおよその年代を読み取り、記入している。

 アフリカツメガエルや、コイ科、サケ目など、進化上の随所でも全ゲノム重複が起こっている。

 最もよく知られている放射性同位元素による年代測定は、放射性炭素年代測定である。炭素12Cは紫外線や宇宙線によって、空気中では一部(1/1012)が常に14Cに変換されている。つまり、大気中ではいつの時代も1兆個の炭素原子のうちひとつが14C、残りが12Cという割合なのである(太陽活動の変化などにより若干のブレはある)。しかし一旦生物の体内に炭素が取り込まれ、そしてその生物が死に、地中に埋まってしまえば、もう宇宙線も紫外線も当たらないので、14Cへの変換は起こらない。ここで14Cは放射性同位元素であることに注目したい。14Cは約5730年で半分が崩壊し12Cに変換される。したがって、14Cの比率でいつその物質が地中に埋まったのかがわかるのである(文献7)。

 ただし、この放射性炭素年代測定では、14Cの検出限界の関係で、せいぜい6万年が限界である。それより昔は火山岩に含まれる物質の、やはり放射性崩壊の半減期を元に推定される。例えば、K-Ar法では、40Kが40Arに13億年の半減期で放射性崩壊することを利用する。溶岩からできたての火山岩か、あるいは何億年も経ったものかを調べることができる。40Kは岩石中に元々大量に存在するため、差異を検出することは不可能だが、40Ar(常温で気体)は大気中には微量しか含まれないため、岩石中に封入された気体の中の40Arの含有率を計測することにより、その岩石の古さがわかる。当然、40Arの率が高い物が古い岩石である。このように、複数の放射性元素の崩壊の半減期から地質年代というのは推定される。

 南米にもごく少数ながら有袋類が現存しており、これらのゲノム解析・比較から、オーストラリア・南米で現生の有袋類の共通祖先は、実は南米で生まれ、当時陸続きだった南極大陸を経て、オーストラリアにいたったと考えられている。

 世界で最も臭いといわれているシュールストレミングをネットで取り寄せて購入したとき、人々は逃げるどころか、わざわざ悶絶するために集まってきた。いい匂いの物を取り寄せても20人もの人数は集まるとは思えず、怖い物見たさという悪趣味な好奇心はたいしたものである。無論、取り寄せた私も例外ではない。ちなみに、シュールストレミングはひとかけらをクラッカーの上に載せるくらいの食べ方なら悪くない気もする。

このふたつの硬骨の作られ方について、第3章に詳述があるので参照。

 ガノイン鱗には我々の歯のエナメル質を作る遺伝子と相同な遺伝子が発現しており(文献18)、イメージとしては歯で身体を覆われているようなもので、当然極めて強固である。

 遺伝子にはその由来によっていくつかの異なる呼び名がある。オーソログとは、共通祖先がもつある遺伝子Aが、種分化によって2種以上の生物に受け継がれた時、受け継がれた遺伝子たちをオーソログと呼ぶ。パラログとは、遺伝子重複によって生じたふたつ以上の遺伝子を指す。最近では大野乾氏の功績をたたえ、ゲノム重複によって生じたパラログで現存するものを特にオオノログOhnologと呼ぶ。

 異化と同化……この2種類の化学反応によって生命活動は維持されている。異化は物質を分解してエネルギーを取り出す代謝経路、同化はエネルギーを使って必要な物質を体の中で作り出す代謝経路。

 アデノシン三リン酸の略。生体内のエネルギー通貨として、様々な化学反応に用いられている。

 組織中の核酸分子(ここでは特定の遺伝子から転写されたmRNAを指す)の分布を検出する手法。調べたい遺伝子の塩基配列を元に、そのmRNAに特異的に結合する分子を設計・合成することで特異度の高い検出が可能となっている。

 通常の生物の核ゲノムはそれぞれの両親に由来する染色体が2本1セット存在し(ディプロイド)、その染色体間で組み替えが起こるため遺伝的な由来を辿る作業がしばしば煩雑になる。しかしミトコンドリアは母親由来であるため(ハプロイド)、そのゲノムを利用することで比較的簡便に遺伝的な類縁関係を遡ることが可能となる。

 増幅断片長多型:制限酵素で切断したゲノムDNA断片をPCRにより増幅し、断片の長さの違いを網羅的に検出比較する方法。この断片長の違いを種間の類縁関係の推定に使用することが多い。

 sexual conflict。ある形質が片方の性にとっては有利だが、もう片方の性にとっては不利な場合にオスメス間で生じる対立。

 次世代シーケンサーを利用して、各組織に発現する遺伝子の種類や量を網羅的かつ定量的に推定する解析方法。

 真核生物のゲノムに散在する反復配列のうち、一度DNAからRNAに転写され、その後に逆転写酵素の働きでcDNAとなってからゲノム中の別の座位に組み込まれるものを指す。数多くのレトロポゾンが存在しており、例えばヒトゲノムは約40%がレトロポゾンによって占められている。

 太陽光には連続したことなる波長成分の光が含まれているが、その波長によってエネルギーが異なるため、水中に到達する波長成分の割合が深さによって異なることがわかっている。特に濁ったビクトリア湖のような水環境では浅場の方が短波長である青色光の成分が多く、深場では長波長の黄色〜赤色の成分が多いことがわかっている。

 タンパク質をコードするDNA配列上の塩基置換にはアミノ酸の置換を伴う非同義置換と、伴わない同義置換がある。一般に、同義置換は生体に影響を及ぼさないため中立であるが、非同義置換は生体にとって不利であることが多い。ただしタンパク質の機能変化が個体にとって有利な場合は非同義置換の割合が上昇することが知られており、それを正の自然選択と呼ぶ。同義置換と非同義置換の割合を統計学的に比較する方法がある。詳細については第7章およびコラム「適応進化に関わる候補遺伝子や候補領域を絞り込むアプローチ」を参照。

   発生初期の胚の一部の細胞群から作られ、生殖細胞を含む様々な組織に分化可能な性質(多能性)を有する細胞株。英語名(embryonic stem cells)の頭文字をとって、ES細胞と呼ばれることも多い。

 変異体を元になった親系統と交配すること。TILLING変異体に関しては変異以外の部分を親系統由来のゲノムに置換するために行う。1回の交配で全体の50%の領域が置換されるため、90%以上を置換するためには最低4回の、99%以上を置換するためには最低7回の戻し交配が必要である。

 タンパク質の二次構造のうち代表的なモチーフのひとつ。水素結合により形成されたらせん状の形である。

 Francis Crickが1958年に提唱した、遺伝情報がDNA→(転写)→mRNA→(翻訳)→タンパク質、という流れで伝わるという概念のこと。分子生物学の基本となる極めて重要な概念である。

 ヒメダカの原因遺伝子としてだけでなく、ヒトの先天性白皮症(つまりアルビノ)やホワイトタイガーの原因遺伝子としても知られる。水素イオンを運ぶトランスポーターをコードすることがわかっているが、その黒色素産生(メラニン合成)における機能は未解明な点が多い。

 相同組換えの鋳型となる外来DNA断片のこと。通常、導入したい配列(GFP遺伝子や特定の塩基置換など)の上流・下流それぞれに、導入したいゲノム領域と相同な配列(相同アームと呼ばれる)を持ったDNA断片である。

 RNAポリメラーゼが結合し、RNAを転写するのに必要最小限の遺伝子上流配列。通常、単独では下流の遺伝子は転写されないが、周辺に転写活性化領域(エンハンサーなど)が存在すると、その影響を受けて下流に存在する遺伝子が転写される。

 オオシモフリエダシャクの「工業暗化」の例を考えるとわかりやすい。これは、産業革命以降のイギリスで、暗化型と呼ばれるより黒い個体の割合が多くなったとされる例である。この蛾は、自然が多い地域では淡色型が目立ちにくく、鳥に捕食されづらかったが、すすで黒くなった木が多い工業地帯では、より黒い暗化型のほうが目立ちにくく、生き残りやすかった。この場合、仮に蛾の色をより黒くするアミノ酸変異が生じたとすると、そのアミノ酸変異は工業地帯で生存に有利で、固定されやすいだろう。ちなみに、近年、具体的にどんな遺伝的変異がこの工業暗化に関わっていたのかが詳細に解析されつつある。

 SWS = short wave sensitive opsin、つまり短波長の光に感受性をもつオプシンのサブタイプ。

 第4章にも記載されているように、深いところには波長の長い赤い光のみが届く傾向がある。つまり、水深の深いところに棲む集団では、青い光を感受するSWSの機能は重要ではなくなってしまう。

 Gタンパク質はGTP結合タンパク質ともよばれ、GTPと結合することで活性化される。GTPを加水分解する性質をもっており、結合しているGTPがGDPに加水分解されると自身が不活性化される。受容体からの信号を中継するものは三量体(α、β、γサブユニット)として存在している。

 神経伝達物質は、放出された後、即座に分解されなければ迅速な伝達を成し得ない。したがって、こういった分解酵素の存在は、ATPが実際にその部位で神経伝達物質として働いていることの傍証となる。

 セロトニンは生体内に存在するモノアミンの一種であり、神経系では神経伝達物質として機能する。生体内のセロトニンの大部分(〜95%)は腸管に存在しており、神経系に存在するものは割合としては小さい。神経系では中脳の縫線核という部位のニューロンで産生され、情動機能等に関係しており、セロトニンの再取り込み阻害剤には抗鬱薬の作用がある。味蕾に存在するセロトニンはそれらとは別の働きをもっていると考えられる。

 迷走神経には感覚性の線維と運動性の線維の両方が含まれており、ここでの迷走感覚神経とはその中の感覚性の要素のみを指す。

 神経細胞(ニューロン)で、突起状の構造(軸索や樹状突起)以外の、核の周辺部の構造を細胞体という。

 ある細胞が放出するリガンドが、その細胞自身の受容体に働くことを自己分泌という。近傍の細胞の場合は傍分泌と呼ぶ。近隣の同じ性質をもった細胞に作用する場合と、自分自身に働く場合を合わせて、自己・傍分泌と呼ぶことが多い。哺乳類のキスペプチンニューロンは、キスペプチン以外に放出するニューロキニンB、ダイノルフィンと呼ばれるペプチドが、キスペプチンニューロン自身に作用することで、アクセルとブレーキのように働き、そのタイムラグでキスペプチンの放出を間歇的に引き起こす。これが前述のGnRHパルスを生み出しているとされている。

 市場に出ている子持ち昆布の中には、ニシン以外の魚(タラの仲間など)を用いて加工されているものもある。また、本物のニシンの卵の場合も、自然に海藻に産みつけられた卵はもっとまばらなので、あのようにびっしりと卵が並んで食べ応えのある子持ち昆布は人為的に作られているようだ。

 タンパク質の一次構造を形成する際にアミノ酸間に形成されるペプチド結合ではなく、側鎖にあるアミノ基とカルボキシル基の間に形成されるペプチド結合のこと。

 2-⑴で述べたように魚類の卵膜の別名は“コリオン”である。将来コリオンになるタンパク質のため、“材料”の意味をもつ“-genin”をつけて、コリオジェニンと呼ばれている。

 遺伝子のうち、半数体ゲノムにつき1コピー(体細胞では2コピー)しかない遺伝子以外のもの。

 共通祖先から生じたいくつかの遺伝子のうち、異なる生物種において類似または相同な機能をもつ遺伝子同士のこと。たとえば、ヘモグロビン、ミオグロビン、サイトグロビンなどは共通祖先から由来するグロビン遺伝子ファミリーであり、ヒトもマウスもこれらの遺伝子をもつが、このうちヒトのヘモグロビン遺伝子とマウスのヘモグロビン遺伝子はオーソログの関係にあるといえる。

 遺伝子ファミリーの中には、突然変異などによって機能を失ってしまうものがある。例えば、変異によって翻訳の途中にストップコドンが入ったり、プロモーターの欠損による転写不能や、転写後のプロセッシングに関与する配列の欠如による成熟mRNAの形成不全などがある。このように、配列の痕跡は残っており、どの遺伝子ファミリーに属するかは明らかだが、機能的でない遺伝子を偽遺伝子(Pseudogene)という。

 魚類では毎年数百の新種記載があり、2018年現在において硬骨魚類の現生種の記載数は3万をこえる。

 栄養リボンという邦訳は、山岸宏『比較生殖学』(東海大学出版会、1995年)による。

 第8章で触れられているデンキウナギなどは、長い身体の大部分が発電器官になっており、肛門の位置が同じように著しく前方に位置する。

 酵素活性は同じであるが、アミノ酸配列の違いによって性質の異なる酵素タンパク質。タンパク質の電気泳動度の差異から、その支配遺伝子座における遺伝子型の差異を検出できる。

 生物相の分布境界線で、この線を挟んで動植物相が大きく変化する。この線の西側が東洋区、東側がオーストラリア区とされる。ウォーレスとウェーバーがそれぞれ異なる境界線を提唱した。スラウェシ島やティモール島は両者の境界線の間に位置する。

 個体や系統を識別する上で目印となるDNA配列のこと。系統間で塩基配列が異なる領域があれば、そこをDNAマーカーとして利用できる。

 ゲノムDNAを制限酵素で切断し、100〜200kbの断片を細菌人工染色体(BAC)ベクターに組み込んでクローン化したもの。大きな領域の物理地図や塩基配列決定に必要とされてきた。

 DNAマーカーや既知のクローンを用いて、配列が一部重なり合うクローンを同定する作業を繰り返し、目的遺伝子近傍のクローンコンティグを作成する方法。

 ミュラー管とは哺乳類の発生過程で将来卵管になる管で、オスではこのホルモンの働きによって退縮する。しかし、真骨魚類にミュラー管はなく、別の機能をもつと考えられる。

 メダカ博士こと山本時男博士は、1953年d-rR系統(オスが緋色、メスが白色の限定遺伝をもとに育成作出された系統、X染色体上に潜性(劣性)のr遺伝子、Y染色体状に顕性(優性)のR遺伝子をもつ、体色により遺伝的な性の判別が可能)の孵化直後から性ホルモンを経口投与して性の人為的転換に成功した。すなわちXrXrでもアンドロゲン投与によりオスとなり、正常メスXrXrと交配して、メスメダカばかりを生んだ。XrYRもエストロゲン投与によりメスに性転換し、正常のオスXrYRと交配した。性ホルモンによる性転換が多くの研究者から示されていたが、山本博士によって初めて遺伝的な性と性ホルモンによる性転換の関連が明らかにされた。コラム⑧も参照。

 コ・オプション(co-option)、遺伝子の使い回し。既存の遺伝子が新たな機能を担うようになること。

 非同義置換よりも大きな影響を与えるのがフレームシフトである。3の単位で塩基は読まれていくが、もし、3の倍数以外の挿入/欠失が起こった場合は、その後の配列が全て読み枠がズレてしまい、その挿入/欠失より後(C末端側)ではまったく異なるタンパク質ができてしまう。

008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ通称

通称ブレグジット(英語: Brexit)とは、イギリスが欧州連合(EU)から離脱すること