第13章 イスラム金融

近年、急速に拡大してきたイスラム金融だが、本章ではイスラム金融の基本を完結に紹介したうえで、イスラム金融の歴史を辿っていく。イスラム金融の歴史は古いが、近代以前のイスラム世界では銀行を核とした金融システムはなかった。しかし近代以前の歴史を踏まえることも、イスラム金融の理解には必要である。そこで近代以前から歴史を辿っていくが、現代のイスラム金融が勃興し、拡大を始めた1970年代以降に主に焦点を当てていく。またイスラム金融にはタカフルと呼ばれるイスラム保険もあるが、銀行と証券(スクークと呼ばれるイスラム債券)に絞って、その展開を見ていく。

なお、「イスラム」は「イスラーム」との表記が正しいが、本章では日本で表記されることが多い「イスラム」との表記とした。それ以外に関しても、多く使われる「ー」を省いた簡潔な表記とした。

イスラム金融の基本

1 イスラム金融の特徴

イスラム(教)は、キリスト教や仏教とは異なり、信者の日常生活の全てをクルアーン(コーラン)に基づいて規制していく。イスラムは宗教であるとともに、法や社会規範ともなっている。したがって産業も全て、その規制を受けることになり、具体的にはイスラム法(シャリア)の適用を受ける。シャリアに反しないことが求められ(シャリア適格)、そうした産業はハラル産業と呼ばれる。ハラル産業は全ての産業に及び、昨今では食品、化粧品、観光などでハラル産業が急拡大している。イスラム金融もこうしたハラル産業の1つである。イスラム金融を含めたハラル産業の拡大は、イスラム教徒(ムスリム)の人口増加やイスラム世界の経済成長をその背景としている。

表1 ムスリム人口と比率の推移

イスラム金融が一般金融(通常使われている金融)と大きく異なるのは、利子を使わない無利子金融であることだとされる。これに加えて、不確実性、投機、ハラム(ハラルの逆でシャリアに適格しないもの)への金融禁止が特徴として挙げられる。また利子とはどのようなものを指すのかに関しては議論が多かったが(高利や社会的に不公正な利子を指すなど)、今では通常の利子と解釈するのが一般的になっている。

それでは利子を使わないでどのように金融を行なうのであろうか。イスラム金融のスキームは、「実物を介した取引」と「事業への投資を介した取引」とに大別され、さまざまなスキームが開発されてきた。基本的なスキームを挙げれば、ムラバハ(商品売買契約・マークアップ契約)、イジャラ(リース契約)、ムダラバ(信託金融)、ムシャラカ(出資金融)などがある。こういったスキームを組み合わせることにより、一般金融で提供される金融サービスの大半をイスラム金融でも提供できるまでになっている。

マレーシア中央銀行(出所:同行HPより(https://goo.gl/XHwWpC))

2 イスラム金融機関

イスラム金融はムスリムのみが利用できるわけではなく、非ムスリムも利用する(イスラム金融機関に預金する、融資を受けるなど)ことが可能である。ただし、一度イスラム金融の世界に入れば、その後はすべてイスラム金融に従うこととなる。

イスラム金融サービスを提供するのはイスラム銀行をはじめとしたイスラム金融機関であり、イスラム金融サービスのみを取り扱うイスラム(専業)銀行と、一般銀行が一部門でイスラム金融サービスを提供するイスラミック・ウィンドウとがある。金融サービスの提供に当たっては、それがシャリアに違反しないか(シャリア適格)を認定する必要があり、同認定を行なうのは各金融機関等が設置するシャリアボードであり、同委員会は金融知識を持ったイスラム法学者で構成される。一般金融にはない特別のスクリーニングが必要となるため、イスラム金融は一般金融に比してコスト高になると指摘される。またあとになってシャリア適格が否定されることもあるため、イスラム金融は一般金融にはないリスクも抱えているとされる。

マレーシア中央銀行(出所:同行HPより(https://goo.gl/XHwWpC))

3 近代以前のイスラム金融

イスラムでは利子の接受が禁止されるが、ユダヤ教やキリスト教でも元来、利子が禁止されていた。ヨーロッパでは経済活動が進むにつれて、現実の要請に合わせ、利子を使う金融システムに変わっていった。しかし中東イスラム圏では、利子に依拠しない金融サービスが続いた。

イスラムは開祖ムハンマドが商人であったため、ビジネスを重視しており、複式簿記などもイスラム商人が発明したとされる。利子の禁止は、公平性、公正、不当な経済活動の禁止といったイスラム経済の理念を実現させるためであった。また初のイスラム債券(スクーク)は7世紀にウマイヤ朝が発行したとの研究がある。家臣に給与に加えてスクークを発行し、スクークは満期後に穀物等との交換が可能となった。スクークは商品の価格変動を見て売買されることもあったとされる。

ヨーロッパで利子を使った金融システムが発達し始めたのは17世紀以降だが、それ以前から中東イスラム圏では、金融サービスは広範に展開されており、前述のムダラバやムシャラカに似た事業への投資をベースにした金融手法が主に用いられていた。なお、こうした手法は中世イタリアでもコメンダとして広く使われていた。こうした金融サービスは商取引のためであり、金融取引との考え方はなかった。

中東イスラム圏には銀行はなく、融資に関しては両替商(サッラーフ)が銀行に近い役割を果たしていた。一方、預金機能はサッラーフとは別の商人が、財産保管契約の形で担っていた。

中東イスラム圏にヨーロッパから近代的な銀行が導入されたのは1840年代とされる。1847年にオスマン・トルコ領内にコンスタンティノープル銀行が設立されたのが始まりである。イギリスやフランスの資本によって、中東イスラム圏の各地に銀行が設立されたが、これは植民地政策の一環であった。中東イスラム圏には国内金融取引を担う現地資本の銀行はもとより、独立した中央銀行もなく、すべて統治国の傘下にあった。

中東イスラム圏では第1次大戦後、オスマン・トルコ帝国が解体し、各地でナショナリズムが広がり始め、現地資本の銀行も設立されるようになった。トルコ共和国では1920年代に商業銀行が設立され、1928年にはイランの中央銀行としてイラン国立銀行が設立された。1920年にはエジプトでミスル銀行が、1930年にはパレスチナでアラブ銀行が設立され、これらと並行してイスラム金融システムの構築が模索されていくようになった。

イスラム金融の始まり︱1950年代~70年代

1 イスラム金融の黎明期

中東イスラム圏は19~20世紀初めにかけて、ヨーロッパ諸国の植民地となり、その経済システムに統合された。その後、1950年代に各国が独立し始め、イスラム経済に関する見直しとイスラム金融システムの具体化への取り組みが進められた。その当時、中東イスラム圏では既に一般銀行が活動していた。

1963年にエジプトでミート・ガムル貯蓄銀行が設立された。これは主に農民に対して金融サービスを提供し、利子を取らない銀行としてイスラム銀行の先駆けとされる。1950~1960年代にはエジプトの他にも、パキスタンで利子を用いないで融資を行なう方法が試行されていたとされる。

同じく1960年代には東南アジアのイスラム圏でも動きが出始めた。きっかけはムスリムの義務とされる聖地への巡礼(マッカ巡礼)である。遠隔地の東南アジアの場合、巡礼には旅費をはじめ多くの費用がかかる。その資金を貯めるために、1962年にマレーシアでマラヤ・ムスリム巡礼貯金公社が設立された。同公社は巡礼積立金を管理し、その運用にあたってはイスラム金融方式が採用された。同公社はその後、1969年に政府巡礼基金(タブン・ハッジ)に発展している。

その1969年には、イラクでイスラム高位法学者のサドルが、その後のイスラム金融の発展に大きな影響を与えることになる『無利子銀行論』を著した。同書はムダラバ契約の活用による損益分配方式によって、あらかじめ固定された利子を用いなくても融資ができると論じている。

1970年代に入ると、オイルショックとイスラム復興機運の高まりを背景に、イスラム銀行が誕生し、イスラム金融は拡大に向けて歩み始めていく。1973年に第四次中東戦争とオイルショックが、79年にはイラン・イスラム革命と第2次オイルショックが発生した。オイルショックは高騰した石油価格が産油国に多額のオイルマネーをもたらし、イスラム経済と金融を発展させる資金源となった。

2 国際的なイスラム金融機関と商業銀行の設立

1975年に至ると、イスラム諸国会議機構(OIC)によって、サウジアラビアのジェッダにイスラム開発銀行(IDB)が設立された。これはイスラム諸国のインフラ整備、産業振興、イスラム諸国間の経済連携などを目的とした国際金融機関で、イスラム金融によってファイナンスを行なうものである。この機関は産油国の資金を非産油国での開発にあてるなど、イスラム諸国間での富の再配分機能も担うようになった。このようなイスラム金融での国際金融機関が設立されたことは、イスラム金融の振興に繋がるものであった。

またオイルマネーの増加は新たなイスラム銀行の誕生ももたらした。1975年に、商業銀行として初のイスラム銀行とされるドバイ・イスラム銀行がドバイ(アラブ首長国連邦)で設立された。これが他の中東湾岸諸国にも影響を与え、続く1977年には財務省の支援を受けて、クウェート・ファイナンス・ハウスがクウェートに設立された。

図2 イスラーム金融発展の概観

これらのイスラム商業銀行は、特にリテール分野で成功を収めた。オイルマネーだけでなく、利子を避けてタンス預金となっていたムスリム庶民の資金を集めることに繋がったのである。

写真2 イスラム開発銀行本部ビル(サウジアラビア・ジェッダ) 写真提供:日建設計

また一般銀行もウィンドウ方式でイスラム金融に参入する動きが出てくる。1979年、エジプトの一般銀行であるミスル銀行は、イスラム金融だけを扱うイスラミック・ウィンドウを開設した。ただし、当時から現在に至るまで、イスラム圏であっても、銀行はイスラム銀行ではなく、一般銀行が主流である。

拡大するイスラム金融︱1980年代

1 各国のイスラム金融の取り組み

1980年代に入ると、ともにサウジアラビア資本のダール・アル=マール・アル・イスラミー(DMI)グループとダッラ・アル=バラカ・グループが国境を越えたイスラム金融ビジネスの世界展開を進めた。両グループはイスラム保険などをはじめ、地域のみではなく業務内容でもイスラム金融の多角化を牽引した。

また金融システム全体のイスラム化が起こったのもこの時期である。パキスタン(1981年)、イラン(1983年)、スーダン(1984年)で、国内の金融を全てイスラム化する政策がとられた。しかしいずれも実質的には失敗に終わっている。

一方、イスラム金融への不信が高まる国も生まれた。エジプトでは1980年代半ばからイスラム投資会社が乱立した。イスラム金融とは名ばかりの、いわゆるネズミ講のようなもので、高い配当で資金を集めた。しかし投機的な資金運用で失敗を繰り返し、その多くが破綻し、政府によって整理される事態となった。これは庶民のイスラム金融への不信感を高め、その後、エジプトではイスラム金融の成長が鈍化することになった。

1990年代に入ると、東南アジアでもイスラム金融拡大の動きが生まれてきた。牽引したのはマレーシアで、政府がイスラム金融の国際的なハブとなることを国策として、イスラム金融優遇策をとってイスラム金融のインフラ整備等を推進した。またマレーシアはイスラム金融に留まらず、ハラル産業全体で国際的なハブをなることを国策とし、現在までのところ成功を収めている。

2 9・11以降のイスラム金融の拡大

2000年代以降になると、イスラム金融は年率15~20%ともいわれる急速な拡大を見せた。契機となったのは2001年9月11日の対米テロ事件(アメリカ同時多発テロ)であった。テロ事件を受けて、米国等のイスラムに対する見方が厳しさを増し、それに比例するようにムスリムの信仰心がより高まることへと繋がっていった。これはイスラム回帰現象と呼ばれる。また2000年代後半にかけて原油価格が高騰に向かい、巨額のオイルマネーが中東産油国に還流した。このようなオイルマネーの流入がイスラム金融を拡大させる事態は、1970年代にもみられた現象である。

さらに金融技術の進歩により、一般金融で提供されるさまざまな金融サービスをイスラム金融でも提供できるようなスキームの開発が進んだ。これを先導したのは、発達した一般金融市場を擁するマレーシアであった。

一方、イスラム金融はこれまでも何度か勃興する動きがあったが、もっぱらリテール分野でのサービス提供に留まり、大きな拡大に結びつくことはなかった。しかし今回はイスラム債券であるスクークの増加など、リテール分野に留まらず、債券、投資信託、プロジェクト・ファイナンスなどを含んだホールセール分野までを含めた拡大の動きとなり、これによりイスラム金融も本格的な拡大の時期を迎えることになった。

すなわち巨額のオイルマネーを抱えた中東産油国をはじめイスラム金融の需要が増加し、これを狙ってイスラム金融を提供する銀行が増加するとともに、ロンドン、シンガポールなどの国際金融センターもイスラム金融への取り組みを積極化した。需給両面でイスラム金融の拡大が進められることになったのである。その過程でスクークをはじめ、さまざまなイスラム金融商品の開発が進み、イスラム金融のインフラ整備も進められた。さらにイスラム金融の拡大は中東湾岸市場とマレーシアを中心とした東南アジア市場とを結び付けていく作用も生んだ。こうしてイスラム金融は急速に拡大していったのである。

イスラム銀行にスポットを当てれば、欧米主要銀行のイスラム金融ビジネスへの参入とメガ・イスラム銀行の誕生が特筆される。これはイスラム金融の拡大とともに、非ムスリムへの進展を促すことにも繋がった。

欧米主要銀行のイスラム金融ビジネス

国際的に金融ビジネスを繰り広げる欧米の主要銀行は、イスラム金融にも積極的な取組みをみせている。ネットワーク、顧客基盤、金融商品のいずれに関しても、欧米の銀行はイスラム金融ビジネスの展開に優位性を持っている。中東諸国、アジア地域のイスラム教国など、イスラム金融の拡大が先行する地域は、かつて欧州諸国の植民地や属国であったところが大半であり、もともと繋がりは深い。また当該地域も一般金融が主流であることは変わりなく、欧米銀行はこれまでの一般金融、そして今後の拡大が見込まれるイスラム金融の両方を提供している。

その欧米銀行のイスラム金融ビジネスの展開にはいくつかの特徴がある。

第1は、イスラム金融ビジネスを積極的に進める銀行は、子会社としてイスラム専門銀行を設立していることである。イスラム金融ビジネスの初期の段階ではウィンドウ形態を採用し、本格的なビジネス展開の段階に移るとイスラム銀行を設立するというのが一般的な傾向である。このためイスラム専門銀行を設立している銀行は、それだけイスラム金融ビジネスで先行していると言うことができよう。

第2は、イスラム債券業務を含めた投資銀行業務、富裕層向けの資産運用業務に注力する銀行が多いことである。欧米銀行が広範なネットワークを有すると言っても、当然のことながら地場銀行にはかなわず、リテール業務を展開するには立場は弱い。しかし投資銀行業務や資産運用業務などは、商品開発などの金融技術力や国際的なネットワークが鍵を握る業務であり、欧米銀行の比較優位性が高い。

第3は、イスラム金融を数多くの金融手段の1つと捉える傾向が強く、あまりイスラムの色彩にはこだわらないことである。シャリア適格判断には国際的な基準はなく、このためイスラム金融なのかどうか不透明な部分は常に存在することになる。しかし欧米銀行はイスラム金融としてシャリア適格の認定はもちろん取得するものの、それがどこでも通用するかどうかにはこだわりを持たず、極端に言えば、顧客がそれで満足すればかまわないというスタンスである。

それでは、欧米銀行はどのようなイスラム金融サービスの展開をしているのだろうか。代表的な事例として、BNPパリバ(BNP Paribas)、シティグループ(Citigroup)、ドイツ銀行(Deutsche Bank)、HSBCによるイスラム金融ビジネスを簡単に紹介しておこう。

1 BNPパリバ

イスラム銀行とのムラバハ預金取引を開始したのに伴って、1985年にイスラム金融ビジネスを始めた。その後、2003年にイスラム金融サービスを提供するグループ会社として、バハレーンにBNP Paribas Najmahを設立した。BNP ParibasはNajmahを中心にイスラム金融ビジネスの展開を進め、地域的には中東と東南アジアをメインのターゲットとしている。提供するイスラム金融サービスは、資産管理運用業務、債券、株式、プロジェクト・ファイナンス、貿易金融、ストラクチャード・ファイナンスなど広範に及んでおり、債券や株式関連のデリバティブ、資産の証券化、信用デリバティブなど、最先端のイスラム金融サービスも開発、提供している。

2 シティグループ

1996年にバハレーンにCiti Islamic Investment Bank(CIIB)を設立し、イスラム金融ビジネスを進めている。CIIB設立以前にはおよそ25年にわたって、Citibank内のウィンドウ形態でイスラム金融を提供していた。ストラクチャード・ファイナンス、貿易金融、リース、資産管理、スクークなどが主な業務である。またイスラム金融商品開発に当たっては、その本拠をマレーシアとしており、マレーシアではCitibank Bhd.がウィンドウ形態でイスラム金融サービスを提供している。

3 ドイツ銀行

主にバハレーン、アラブ首長国連邦において、個人並びに機関投資家向けの投資業務を行なっている。加えて資産管理業務、スクーク関連業務、ヘッジ商品などの提供も行なっており、中東湾岸諸国のスクーク流通市場ではマーケット・メーカーの一行ともなっている。同行は特に投資商品の開発に力を入れており、グループの投資会社であるDWS Investmentsを通じたイスラム投資ファンドの提供、バハレーンやアラブ首長国連邦の地場銀行と共同でのイスラム・ファンドの設定などを発表している。

4 HSBC

1998年にHSBC Amanahを設立し、イスラム金融サービスを提供している。HSBC Amanahは英国を本店とし、サウジアラビア、アラブ首長国連邦などをはじめ、HSBCグループを通じて世界各地でイスラム金融ビジネスを進めている。業務範囲としては、クレジット・カード、住宅ローン、消費者ローンといったリテール業務から、企業金融、貿易金融のようなホールセール業務、資産管理業務、スクーク関連業務など、ほぼ全ての金融業務をカバーしている。マレーシアではHSBC Bank Malaysia Bhd.がウィンドウ形態でイスラム金融を取り扱っていたが、マレーシア中央銀行からイスラム銀行設立の許可を受け、HSBC Amanah Malaysia Bhd.(イスラム銀行)としてイスラム金融ビジネスを展開している。

メガ・イスラム銀行の誕生

イスラム銀行は一般銀行に比べて規模が小さいことが1つの特徴である。イスラム金融への需要が増加し、特に開発プロジェクトで巨額の資金調達が必要になる場合には、小規模のイスラム銀行ではこれに対応できなくなってしまう。そこで大規模なファイナンスにも対応できる規模の大きな、いわゆるメガ・イスラム銀行が必要になってくる。

メガ・イスラム銀行は資本金10億ドル以上が1つの目処とされ、2007年には中東湾岸諸国でメガ・イスラム銀行の設立が目立つようになった。また単に資本を増加させるだけではなく、競争力のあるイスラム銀行を創設する必要もある。なお、イスラム金融取引に関しても、イスラム銀行よりもむしろ一般銀行のイスラミック・ウィンドウの方が競争力を持っているとの指摘もある。2000年代後半に設立された主なメガ・イスラム銀行を簡単に紹介しておこう。

1 Noor Islamic Bank

世界最大のイスラム銀行となることを目標として、ドバイ政府、ドバイ首長それぞれ25%の出資で、2008年1月6日に資本金約8億6100万ドルで開業した。欧米の銀行が覇権を持つ一般銀行と異なり、イスラム銀行では未だ国際銀行(グローバル・バンク)が存在しないことによる。

2 Al Hilal Islamic Bank

Abu Dhabi Investment Council(アブダビ首長国の投資審議会)が設立するイスラム銀行であり、2007年7月に設立の大統領令が出された。リテール業務から投資銀行業務まで、フルラインのサービスを提供し、主に民間部門のプロジェクト関連の資金調達ニーズに応えることを目標にしている。

3 Al Emaar International Bank

イスラム商工会議所(The Islamic Chamber of Industry and Commerce)の主導によってバハレーンに設立されたイスラム投資銀行で、イスラム諸国会議機構は57カ国・地域での経済発展プロジェクトに対する投資を主たる業務にすることを目指している。

多様なイスラム金融の発展と展開︱主要国の軌跡を見る

イスラム金融の展開は、それまでの歴史を含め各国によって多様なものであり、一様にまとめることはできない。そのためここまでは細かな部分を割愛し、イスラム金融の発展を概観してきた。一方、多様性こそがイスラム金融の最大の特徴であるとも言え、イスラム金融の展開からその多様性を知ることも必要である。次に、イスラム金融の発展をグループに分け、その主要国のイスラム金融の軌跡を見ていこう。

具体的には、金融のイスラム化を目指した国々、政治的な理由から敢えてイスラム金融と一般金融を区別しない国々、オイルマネーで潤い、これを活かすべくイスラム金融の振興を進める中東湾岸諸国、オイルマネーの獲得も含め、経済を発展させるためにイスラム金融を振興する東南アジア諸国、そして国際金融センターとしてイスラム金融に取り組む非イスラム諸国の5グループに分けて見ていく。

1 金融のイスラム化を目指した国々︱パキスタン

このグループでは、パキスタン、イラン、スーダンが挙げられる。この3カ国が国内金融システム全体のイスラム化を行ない、実質的に失敗したことは前述した。金融システムの不備、経済事情との乖離、当時の政治情勢が不安定であったことなどがその要因である。以下、代表的な例としてパキスタンのイスラム金融を見てみよう。

パキスタンは1947年にイギリス支配下のインドから、ムスリム国家として独立し、その直後から政治・経済・社会のイスラム化の取り組みを開始した。1973年に銀行の国有化が実施され、ジアー・ウル・ハック政権は1979年に銀行のイスラム化を開始した。1979年から80年にかけて、数行の特別銀行と投資会社が銀行業務をPLS(Profit and Loss Sharing)モデルと呼ばれるイスラム銀行方式に転換した。続く1981年1月にはすべての国有銀行とその支店でPLSの取り扱いが開始され、その後1985年央にはイスラム銀行化がすべて完了した。

しかしイスラム銀行の下で、銀行貸し出しの短期化、所得階層による格差拡大が進み、さらにイスラム銀行における脱税行為等の汚職も進み、パキスタン国民もイスラム銀行には消極的なスタンスであった。そもそも準備が整っていない段階で、急進的にイスラム金融化を図ったことが問題であった。適切なシャリアボードがなく、銀行職員などの知識不足や倫理観の欠如も目立った。加えて過渡的な措置として、実質的な利付貸付を認めるなどイスラム金融化は混乱をもたらすことにもなった。また1987年以降は財政赤字の増大、国際収支の悪化、インフレの亢進などパキスタン経済は深刻な状況に陥った。

結局、金融全般のイスラム化には失敗した。しかしその後、2000年代に入ってから、政府は改めてイスラム金融の強化に取り組んだ。現在では一般金融が主流となる中で、イスラム金融と一般金融が並存している。ただし、イスラム金融部門は飛躍的に拡大している。また銀行セクターに留まらず、ノンバンクセクターとしてムダラバ会社、イスラム投資信託、タカフルなどがイスラム金融の拡大に貢献している。

政府は、これまで金融システムに参加できなかった国民がイスラム金融によって銀行へのアクセスが開かれると考えており、特にイスラム金融で、貧しい人や女性などの金融システムへのアクセスが可能となることが期待されている。

また信仰心の篤さと政府への不信感のあいまった行為が見られる。パキスタンでは断食月の初日、すべての普通預金口座から預金残高の2・5%を喜捨として徴収される。預金者はこれを避けるために断食月初日前に普通預金口座から現金を引き出し、当座預金に預け替え等を行ない、口座から喜捨を徴収される人は年々減少している(全預金者の1%程度との推計もある)。これは、「集められた喜捨を活用するのは政府で、どのように使われるか信頼できない」という政府への信頼欠如が主因であり、中流層などは断食月の間、別途、貧困家庭に寄付や路上での炊き出しを行なうなど信仰心は篤い。

2 イスラム金融と一般金融を区別しない国々︱サウジアラビア

このグループは政治的な理由から、敢えてイスラム金融と一般金融を区別せず、一般金融ないしはイスラム金融の存在を黙認している国々である。サウジアラビア、エジプト、ヨルダン、オマーンなどがこのグループに挙げられる。以下、中でも最大の市場規模を誇るサウジアラビアを見てみよう。

サウジアラビアはイスラム金融の規模は世界最大級であるが、イスラム金融に特化した制度等は設けられていない。すべての銀行は銀行法に基づいて免許を受けており、イスラム銀行法は存在しない。イスラム銀行は一般銀行と同じ枠で取り扱われるが、一般銀行もシャリアボードを設置し、イスラム金融を取り扱う。サウジアラビアにおいて制度上イスラム銀行が存在しないのには歴史的な経緯がある。

サウジアラビアはイスラム国家の盟主として、政治・経済もイスラムの教えに立脚している。このため国内では敢えてイスラム銀行を必要としないとの立場である。

1977年には、サウジアラビア第3代ファイサル国王の息子であるムハンマド王子が運営するファイサル・イスラム銀行がエジプトとスーダンで設立されたが、これは国内でのイスラム銀行の事業展開が認められず、国際金融資本化に進んだことによる。ファイサル・グループは後に前述のDMIグループとなり、スイスを拠点として活動し、また同じくサウジアラビア資本の前述のダッラ・アル=バラカ・グループはロンドンと国外でのイスラム金融ビジネスの展開を進めた。

サウジアラビアでは1928年以降、欧米銀行の進出が相次ぎ、彼らが金融システムの形成を担っていくことになった。このためサウジアラビアの金融システムは、一般銀行をベースとしたものに作り上げられた。石油を輸出し、消費財・資本財等を輸入するという経済構造から、内外の金融取引を金融機関が支えることで経済が成り立つ。一般銀行を排除しては経済がまわらない状況にあった。

一方でサウジアラビアでは、シャリアを厳格に解釈するワッハーブ派が宗教界を握っており、王家はワッハーブ派と協力して王国の運営に当たらねばならなかった。ワッハーブ派は一般銀行を批判しているため、一般銀行の存在とワッハーブ派をどのように融合させるかが王政の課題であり、一般銀行の存在を表面化させない運営が求められた。

このため1952年には中央銀行に相当するサウジアラビア通貨庁(SAMA)が設立されたが、「銀行」ではなく、「通貨庁」という名称になったと言われる。1966年に公布された銀行法でも、利子に関する言及はなく、銀行は利子を手数料などと読み替えて、実質的な一般金融を行なった。

1975年以降、政府による銀行資本のサウジアラビア化が進められたが、金融システムの変更には至らなかった。1970年代後半には周辺諸国でイスラム銀行の設立が相次ぎ、サウジアラビアでも1980年代にはイスラム銀行設立の動きが出てきた。しかしイスラム銀行の新設を認めると、既存の銀行が非イスラムであることを認めることになり、宗教界からの批判を受け、金融システム自体が動揺する可能性が危惧された。このため1987年に設立が認められたサウジアラビアで最初のイスラム銀行であるラージヒー銀行(Al-Rajhi Bank)も一般銀行として承認し、事実上イスラム銀行として業務を運営するのを容認する方策を採用した。

このように政府はとりたててイスラム金融を振興してこなかったが、サウジアラビアでもイスラム金融は拡大していった。多くの銀行が1990年代以降、イスラム金融への取り組みを本格化し、2000年代にかけて一般銀行でのイスラム金融業務は大きく成長した。国内最大の商業銀行であるNational Commercial Bankも全支店でイスラム金融の取り扱いを行なうなど、一般銀行システムの中でのイスラム金融の提供が進んだ。またイスラム投資信託の販売が始まり、高い利回りが顧客を惹きつけ、急拡大を示した。

3 潤沢なオイルマネーをもとにしたイスラム金融の振興︱中東湾岸諸国とバハレーン

産油国の中東湾岸諸国では、イスラム金融は2000年代に入り急速に拡大した。原油価格の高騰により、巨額のオイルマネーが還流したことが背景である。また湾岸諸国では資本市場が未発達であり、銀行部門が金融の中心的役割を果たしている。

中東湾岸諸国の中では、バハレーンが中東の金融センターとしてイスラム金融の振興を進めている。またアラブ首長国連邦もバハレーンに対抗して、政府機関が資本金の大きなメガ・イスラム銀行の設立を進めた。これは前述したが、ドバイを中心にアラブ首長国連邦では多くの開発プロジェクトが進行し、この種のプロジェクトでは資金調達額も多額に上るため、イスラム金融でのファイナンスを行なうには資本金の大きなメガ・イスラム銀行が必要になってくるという背景が存在する。また比較的規模の小さいイスラム銀行は投資先を分散させず、金融部門、建設・不動産部門などに集中して投資を行ない、比較的高収益を上げたということもあった。しかしこれは世界金融危機等を受け、不動産価格が下落すると、投資を集中していた分、その影響も大きく受けるというリスクも顕現化した。

写真3 バハレーン・フィナンシャルハーバー(出所:同行HPより(http://www.bfharbour.com/))

以下、バハレーンのイスラム金融について簡単に紹介しておく。

中東の金融センターとして挙げられるバハレーンだが、レバノン内戦が起きるまではベイルートが中東の金融センターの中心的役割を果たしていた。このため1975年にバハレーン通貨庁(現バハレーン中央銀行)は、オイルマネーの取り込みにより金融立国を目指すため、オフショア銀行(OBU:Offshore Banking Units)の創設を決定した。OBUが創設されて以降、海外の主要銀行が次々とバハレーンに参入し、第1次、第2次オイルブームを背景に、バハレーンが中東の金融センターとして発展することになった。

バハレーンの強みは、先行者利益とバハレーン中央銀行による発達した金融規制の枠組みである。バハレーン政府は、金融取引の中でも特にイスラム金融、資産運用、保険といった今後大きな成長が見込まれる分野に焦点を絞って、中東湾岸諸国の金融センターの地位を確立することを目指した。同時にイスラム金融に関する法的規制等のインフラ整備を積極的に進めた。こうした背景には、原油収入に頼れない小さなバハレーン経済にとっては、金融業が重要な産業セクターになっているという事情もある。

バハレーンはイスラム金融と一般金融を並存させるとの基本方針に沿ってイスラム金融の制度整備に着手した。1980年代にはイスラム金融機関のオフショア進出を認めて外資系イスラム銀行などの誘致に注力した。またイスラム金融関連の国際機関の誘致にも積極的に取り組んだ。バハレーン中央銀行は金融政策運営手段としてスクークを定期的に発行するなど、国際的なスクーク市場の育成・拡大も図った。しかしバハレーンのイスラム金融シェアはそれほど高くはない。これは、バハレーンは一般銀行における中東湾岸諸国の金融センターとして、中東湾岸諸国で最大のオフショア銀行市場を有しているためである。このためバハレーンの金融市場においては一般銀行とイスラム銀行が共同してファイナンスを行なうなど、一般銀行とイスラム銀行との関係は密接である。金融のイスラム化というよりは、金融の一手段としてイスラム金融が伸びているというのがバハレーンの特徴であると言える。

4 経済発展を目指したイスラム金融の振興︱東南アジア諸国とマレーシア

マレーシア、インドネシアを中心とする東南アジア諸国では、オイルマネーを呼び込むことも念頭に、経済的な利益を考慮して、イスラム金融を一般金融よりも優遇して積極的なイスラム金融の振興を図ったのが特徴である。

中でも先行したマレーシアのイスラム金融の展開を見ていこう。

マレーシアでのイスラム金融の始まりは1983年3月に発効したイスラム銀行法(Islamic Banking Act 1983)である。同法を受けて同年7月に初めてのイスラム銀行として政府系のバンク・イスラム・マレーシアが設立された。これ以前にも前述した政府巡礼基金という貯蓄機関があったが、同基金は巡礼資金の貯蓄を目的としたもので、金融仲介を行なう銀行ではない。

1983年には初のスクーク国債として政府投資証書(GIC)を発行するなどの動きはあったが、1990年代初頭まではイスラム金融の発展は限定されていた。

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993年にマレーシア中央銀行はイスラム銀行スキームである無利子銀行スキーム(Interest-free Banking Scheme:IBS)を導入した。IBSは一般銀行であってもライセンスを取得することでイスラム銀行業務への参入を認めるもので(いわゆるイスラミック・ウィンドウ形態)、これを受けて3大銀行であったメイバンク(Malayan Banking Bhd.)、ブミプトラ・マレーシア銀行(Bank Bumiputra Malaysia Bhd.)、United Malayan Banking Corporation Bhd.がイスラム銀行業務を開始した。続く1994年にはイスラム金融のインターバンク市場も開設された。IBSは1998年12月にイスラム銀行スキーム(Islamic Banking Scheme)に名称が変更された。

2000年代に入ると、2001年にはイスラム金融の育成を一層積極化し、金融部門の競争力強化を目的とした10ヵ年計画である「金融セクター・マスタープラン」と、同じく資本市場の育成を目的とした「資本市場マスタープラン」を発表し、両プランにおいてイスラム金融育成の長期ビジョンを掲げた。

「金融セクター・マスタープラン」では2010年にイスラム金融の市場シェアを20%に引き上げることを目標に、金融機関の能力強化、金融インフラや規制の整備を進めた。また「資本市場マスタープラン」では、マレーシアをイスラム金融のハブ市場とすべく、イスラム金融商品やサービスの開発促進、会計・税・規制などのフレームワークの確立、イスラム資本市場専門家の育成、他国市場との戦略的提携の促進などが進められた。

2003年9月にはイスラム銀行間の競争を促す目的で、外資系銀行に対するイスラム銀行免許供与の計画が発表された。これを受けてクウェート、サウジアラビア、カタールの3カ国の銀行がマレーシア進出を決定した。クウェートのクウェート・ファイナンス・ハウス(Kuwait Finance House)は2006年2月にKuwait Finance House (Malaysia) Bhd.を、続いてサウジアラビアのラージヒー銀行(Al-Rajhi Bank)が2007年2月にAl-Rajhi Banking & Investment Corporation (Malaysia) Bhd.を、そしてカタールのカタールイスラム銀行(Qatar Islamic Bank)が2007年3月にAsian Finance Bank(合弁)を設立した。このようにマレーシアはイスラム金融で中東とアジアを繋ぐ役割も果たした。

また2005年にはIBS実施銀行に対してイスラム金融部門を分離してイスラム銀行を設立することを許可した。大手銀行は早速、イスラム銀行の設立を進め、RHBイスラム銀行(RHB Islamic Bank Bhd.)、ホンリョンイスラム銀行(Hong Leong Islamic Bank Bhd.)、ティジャリ商業銀行(Commerce TIJARI Bank Bhd.)などが相次いで開業した。

さらに同じく2005年にはイスラム銀行への外資出資比率上限が30%から49%に引き上げられた。これを受けてドバイ投資グループがBank Islam Malaysia Bhd.に40%出資、ダール・アル=バラカ・グループがRHB Islamic Bank Bhd.に49%出資を行なうなど、外国資本によるマレーシア進出が進んだ。

さらにマレーシアはイスラム金融の国際的なハブ市場となることを目的として、2006年8月に、ラブアン国際オフショア金融センターに国際イスラム金融センター(Malaysia International Islamic Financial Center:MIFC)を設立した。MIFCはイスラム金融に関する経験の蓄積を活かし、国際通貨でのイスラム金融商品やサービスを提供するセンターと位置付けられている。MIFCでは国際的なイスラム金融市場間の連携と協調を強化し、それによって中東、西アジア、北アフリカ間の貿易・投資関係を拡大させることが目指されている。MIFCに設立されたイスラム金融機関(イスラム銀行、オフショア銀行のイスラミック・ウィンドウ、タカフル事業者)はマレーシア国内のどこでも事業所を開設することができ、場所の如何を問わず、ラブアンで付与される税制上の特典を享受することができる。国際通貨建て取引で得た収益の課税免除、印紙税免除などの優遇措置も適用される。マレーシアの地場イスラム銀行もMIFCに国際通貨業務部門(International Currency Business Units:ICBU)を設立し、居住者、非居住者向けに国際通貨建てのイスラム銀行サービスを提供することが可能となった。

また通貨危機で中央銀行が金融引き締めを行なった際、一般銀行から融資を受けた債務者は多大な影響を受けたのに対して、金利ではなく取引金額の一定割合を手数料として払うなどの方式でイスラム銀行から融資を受けた債務者は影響を受けなかった。これはイスラム銀行に対する信頼性を高め、イスラム金融シェアが上昇する要因ともなった。

なお同様の現象はインドネシアでも見られた。1997年の銀行危機時には相対的にイスラム銀行の影響が小さかったため、イスラム金融の有効性が着目された。また銀行の資金仲介機能の回復が不十分な中で、イスラム金融には新たな資金供給経路としての期待も寄せられた。インドネシアでは、マレーシアとは異なり、中小零細企業向けの貸し出しなど、イスラム金融には一般金融を補完する役割が期待されている。インドネシアの金融部門の発達は相対的に遅れており、イスラム金融に限らず、まずは金融部門全体の発展を図ることが重要になっている。

5 非イスラム国の国際金融センター︱英国、シンガポール

21世紀に入ると、ロンドン、シンガポール、香港、さらにルクセンブルクといった国際金融センターが相次いでイスラム金融に対して積極的な取り組みを開始した。いずれもイスラムの国ではないこともあって、イスラム金融を優遇するのではなく、金融の一手段として、一般金融との公平性を確保する観点から、税制等のインフラ整備を進めた。ここではその代表例として、ロンドンとシンガポールの取り組みを概観してみよう。

コラム・トップバンカー

ゼティ・アクタル・アジズ (Zeti Akhtar Aziz)

マレーシアがイスラム金融の国際的なハブ市場となった背景には、マレーシア中央銀行のゼティ前総裁の貢献も大きい。マレーシアでは、イスラム金融の主要な国際機関であるイスラム金融サービス委員会(Islamic Financial Services Board)が2002年に設立され、イスラム金融取引の国際的基準、ガバナンス等の国際協調を担い、イスラム金融育成に関する主導的役割を果たしている。定期的に国際会議が開催され、ゼティ前総裁は同会議で基調講演を毎回行なうなど、世界のイスラム金融におけるマレーシアの位置づけを確実なものとした。

ゼティ・アクタル・アジズ

英国にはインドやパキスタンといった南アジア諸国からのムスリム移民が存在し、イスラム社会を形成している。このため英国の銀行もイスラム金融サービスを提供している。英国に居住するムスリムは所得水準で中流を上回る豊かな階層が多く、英国の銀行はこれら富裕ムスリム向けに住宅ローンなどのイスラム金融サービスを提供している。また中東湾岸諸国との関係で言えば、オイルマネーは歴史的にロンドン市場を通じて世界に投資される割合が大きく、金融面での英国と中東湾岸諸国との関係は深い。こうした背景から中東湾岸諸国の銀行も英国に進出している。中東からの英国進出はイスラム銀行への出資だけではなく、投資会社の設立など多方面で見られるものである。

英国は、「シティをイスラム金融のGateway」とする方針を表明し、イスラム金融の取り扱いに関する制度の整備を進めた。その際、前述の通り、イスラム金融を特別扱いするのではなく、一般金融と同等の経済効果が可能となるように配慮するスタンスを示している。

具体的にどのような措置が取られてきたのか? 各年度予算(Financial Act)で見てみると、税制面で一般金融に比べてイスラム金融が不利にならないような政策措置が実施された。こうした制度整備に加えて、2014年6月25日、英財務省はスクークの募集を開始した。5年債で発行額は2億ポンド(約340億円)。国有不動産の運用収益を金利とみなして投資家に分配し、ロンドン証券取引所に上場した。英国政府がスクーク国債を発行するということは、非イスラム先進国にスクークが広がり、また信用力の高いスクークの国際的な指標銘柄が誕生することを意味する。またシティは世界最大の国際金融センターであり、投資家層も厚く、スクークの売買が活発になり、スクーク流通市場の育成が進むのではないかと期待された。

なお、イスラム金融を取り扱う法律事務所やコンサルティング会社はロンドンに集中しており、中東湾岸諸国でもこれらロンドンのイスラム金融専門家に依頼するケースが多い。イスラム金融に関する人材といった点からもシティの存在は大きなものとなっている。

次に、シンガポールは、中東とアジアを繋ぐ金融センターとなるべくイスラム金融への取組みを進めている。すなわち、オイルマネーで潤う中東資金がアジア投資を行なう場合の受け皿となる戦略である。シンガポールのムスリム人口は少なく、国内のリテール部門でイスラム金融の拡大を目指す状況にはない。

シンガポールは2004年頃からイスラム金融の育成に力を入れており、金融規制や税制を見直し、イスラム金融と一般金融との取り扱い上の差異を取り除く施策を展開している。基本的にはシティにおける施策と同様のものであり、税制の変更は各年の予算で対応した。

制度の整備に伴って、シンガポールでは地場大手銀行ならびに欧米銀行のシンガポール拠点によるイスラム金融の取り扱い、マレーシア、中東湾岸諸国の金融機関によるシンガポール進出の増加が見られた。またシンガポールでのイスラム投資ファンドの設立も相次いだ。なお、シンガポールも2009年1月に、非イスラム国として初のソブリン・スクークの発行枠(2億シンガポール・ドル)を設定した(発行体はシンガポール金融管理局:MAS)。

一般金融とイスラム金融との比較

1 世界金融危機の影響

イスラム金融では投機的な取引が禁止され、レバレッジとも無縁であったため、2008年の世界金融危機によってイスラム銀行が直接的に受けた影響は一般銀行に比べれば小さかったと言える。金融危機前後の動向を一般銀行とイスラム銀行、それぞれ上位10 行を抽出して比較すると次のようにまとめられる。

○2006 年から08年にかけて一般銀行の資産額は36%増加し17・4兆ドルとなったが、イスラム銀行の資産増加率は55%に上り、940億ドルから 1470億ドルへ増加した。
○一般銀行のネット収益は2006年の1160億ドルから2008年には420億ドルの損失へと急減したが、イスラム銀行のネット収益は同期間に420億ドルから460億ドルへと9%の増加を記録した。一般銀行では4行が純損失となったが、イスラム銀行では2008年に純損失となった銀行は一行もない。
○一般銀行上位10行のうち、半数の5行は政府の金融支援を受けたが、イスラム銀行で政府支援を受けたのは1行に留まる。

しかしイスラム銀行は不動産部門へのエクスポージャーが高かったことなどによって、流動性の枯渇、不動産価格下落(ドバイ・ショック)などの世界金融危機の二次的影響は大きくなった。中東湾岸諸国の主要なイスラム銀行の収益状況は、2009年に大きく落ち込んだ。

世界金融危機による直接的な影響が一般銀行に比較してイスラム銀行が軽微に留まった要因として、イスラム金融の特徴が指摘される。イスラム金融の基本的な特徴としては、前述の通り、利子の禁止、リスク分担、投機的行為の禁止(不確実な取引も含む)などが指摘される。生産活動なしにマネーが購買力を高める効果を生んではならず、実体経済の裏付けを持つ金融でなければならない。このためイスラム金融では実物資産の裏付けがあるか、金融提供者(イスラム銀行)も経済活動に参加することが求められる。またリスク分担、生産活動への参加といった観点から情報公開(共有)等の契約上の義務が重視される。こうしたイスラム金融を一般金融と比較した場合に、実体経済活動の裏付け、金融の循環や信用創造の低さといった特徴が挙げられ、このために金融危機の影響は相対的に軽微なものとなった。

2 イスラム債券(スクーク)のデフォルト

近年、イスラム金融の中でもとりわけイスラム債券のスクーク市場が急速に拡大した。スクーク発行額は2008年には世界金融危機の影響を受けて急減したが、その後、再び増加に向かい、増加ペースも上昇を見せた。しかし世界のスクーク発行額は2013年以降、減少傾向にあり、2015年、2016年と低迷した。これは新興国経済が世界経済低迷の影響を受けたことによる。スクーク発行は一般債の発行環境に大きな影響を受ける。このことはスクーク発行額が世界金融危機を受けて2008年には急減したことからも窺える。

スクークも一般債と同様にデフォルトが発生するが、スクークの場合、一般債とは異なるシャリア・リスクが存在する。これが顕現化した事例を紹介しておこう。

クウェート最大の投資会社である The Investment Dar(以下Dar社)のスクーク(発行はSPC)がデフォルトを起こし、法的な解決が英国の裁判所に持ち込まれた。その際Dar社は、当該取引はシャリア不適格であるため認められず、したがってデフォルトによる債務返済の必要性のないことを主張した。スクーク発行時にはシャリア適格として取引を始めたが、これを一転させて、そもそもシャリア不適格であったとシャリア適格性の判断をひっくり返したのである。Dar 社による一種の法廷闘争戦術であるが、契約におけるシャリアと一般法(英国のコモン・ロー)との関係に関する裁判所の見解が注目されることになった。

同様の法廷闘争は、シャミル銀行事件(Beximco Pharmaceuticals vs. Shamil Bank of Bahrain & Others)など過去にも事例があったが、これまでの英国の裁判所の判決は、「シャリアは準拠法とはなりえない」という判断であった。しかし今回のDar社のケースでは、シャリアと一般法の関係には踏み込まず、元本の返済のみを決定し、利息分については決定を回避した。

スクークのデフォルトが発生した場合、裏付け資産の所有権がどうなっているか、担保となりえるか、他の債権者との優劣など、法的に未だ不明確な点は数多い。英国法を準拠法としていても、発行体であるSPCの所在地、事業者の所在地など複数の国に跨り、倒産法や担保法、あるいは登記などの整備状況も異なるために準拠法のみの判断で全てが解決されるものではない。

なお、2009年11月のドバイ・ショックで、ドバイのナキール社発行のスクークがデフォルトとなった際には、ドバイ側では収益が上がる時には配当をするのだから、払えなくなったら損失も負担するのが当然との意識があった。こうした意識もイスラム金融独特のものであると言えよう。

現在のイスラム金融市場を概観する

これまでイスラム金融の発展の軌跡を見てきたが、イスラム金融は宗教をベースとしたものであるため、その軌跡は一様のものではない。またそれこそがイスラム金融の最大の特徴とも言える。さらに非ムスリムもイスラム金融を利用することができ、非ムスリムにとっては、イスラム金融は多くの金融手段の中の1つで、代替的金融手段と位置付けられる。イスラム金融は、ペースこそ一時期ほどではないが、拡大を続けている。そしてその拡大の様相も各国によってさまざまである。本章の最後に、現在の世界のイスラム金融市場を概観しておこう。

1 今後のイスラム金融の発展

イスラム金融の場合、どこまでイスラム金融とするかの問題もあり、国際的に基準となるような統計はない。各機関や銀行・シンクタンク等が独自に集計して発表している。したがって使う資料によって結果は幾分異なるものの、中東湾岸諸国、アジアではマレーシアを筆頭にインドネシア、パキスタンが主なイスラム金融市場とされる。イスラム金融資産残高で世界最大はイランとされるが、前述の通り、イランは表向き金融をイスラム化しているだけで、その実態はイスラム金融とは言えない。

図3 スクーク発行額の推移

それでは今後、どこでイスラム金融の拡大が見込まれるのであろうか。アフリカや中央アジアにもムスリムは多く、こうした国々もイスラム金融への参入を開始している。また非イスラム国でも、国際金融市場をはじめ、イスラム金融ビジネスを扱っているが、金融の一形態として、オイルマネー等のイスラム資金の取り込みと、投資対象の多様化を図るためである。したがって今後も主要なイスラム金融市場は、中東湾岸諸国をはじめ、マレーシア、インドネシア、トルコ、パキスタンといった国となると見られている。イスラムの国であり、経済成長と金融市場の発展等を考慮すれば、こうした結果となろう。

本章では、イスラム銀行とスクークに絞って、その歴史を見てきたが、これ以外にもタカフルやイスラム・ファンドなども拡大してきている。イスラム・ファンドは不動産投資信託(REIT)やイスラム圏での年金ファンドなど、最近では拡大のペースを速めている分野である。またフィンテックを受けて、クラウドファンディングのプラットフォームの設立も相次いでいる。クラウドファンディングを含めて、イスラム金融本来の役割とも言える、起業や中小企業へのファイナンスでのイスラム金融の利用促進も、政策として図られている。さらにイスラム金融は社会的責任投資[企業が社会的責任を果たす期待にもとづいた投資]との整合性が高く、非ムスリムの投資家の関心を集めてもいる。

ムスリム人口の増加に伴い、イスラム金融は今後も拡大していくであろうが、その拡大は一般金融に対峙するものではなく、金融の一部門としての拡大を辿っていくものと見られる。

2 米国と日本におけるイスラム金融

なお、イスラム金融が大きな潮流までには至らないのは、米国並びにニューヨーク市場でイスラム金融が拡大しないことも大きい。米国では、イスラム金融は進んでおらず、イスラム金融育成の動きも特に見られない。米国は英国などと比べてもムスリム人口比率が低いことはない。米国においてイスラム金融の拡大が見られない背景としては、そもそも対米テロ事件(9・11)の当事国であるという事情があるが、米国ムスリムが地域的に分散しており、ムスリム社会を形成していないこと、米国ムスリムの多くは特に9・11以降、地域社会へ溶け込もうとする傾向を強めており、ムスリムの特徴を表に出したがらないことなども指摘される。当局サイドはイスラム金融に門戸を閉ざしている訳ではないとしているが、照会があれば個別に対応するというスタンスを取っている。米当局としては、米銀は海外でイスラム金融業務を行なっており、一方、国内ではイスラム金融に対する需要がそもそもそんなに存在しないので、是々非々のスタンスで構わないとのことであろう。米国内のイスラム金融は不動産関連で少し行なわれている程度である。なお、2008年の世界金融危機後、その反省から、米国でもイスラム金融を見直す動きが出たが、それも間もなく消えてしまった。

図4 イスラム金融市場トップ10(2015年、資産残高ベース)

最後に日本の状況についても少し付言しておこう。日本においては2008年12月に改正銀行法規則が施行され、銀行、保険会社の子会社、兄弟会社に限ってイスラム金融業務が認められた。続く2011年5月には「資本市場及び金融業の基盤強化のための金融商品取引法等の一部を改正する法律」が成立、公布された。同法の施行を受け、資産流動化法に基づく特定目的信託の枠組みの下、社債的受益権によって、日本版スクーク発行の法的な整備が図られた。しかし日本でのスクーク発行実績はなく、日系企業はマレーシアでスクークを発行している。またメガ3行もイスラム金融ビジネスを展開しているが、主にマレーシアにおいてである。

図5 主要9カ国のイスラム銀行資産

さらに詳しく知りたい人のための読書案内

ムハンマド・バーキルッ=サドル著(黒田壽郎訳)『イスラーム経済論』未知谷、1993年
イスラム金融はイスラム経済の一部門であり、イスラム金融を理解するにはイスラム経済を理解しなければならない。この2書は基本をしっかり学ぶための基本書となる。『無利子銀行論』はイスラム金融の理論、実践、可能性をまとめている。両書ともにかなりのボリュームで、難解な部分もあり、発行は古いが、その内容は今でも基本となる。

濱田美紀・福田安志編『世界に広がるイスラーム金融︱中東からアジア、ヨーロッパへ』アジア経済研究所、2010年
イスラム金融の特徴等を概説した後、中東、東南アジア、さらには非イスラムの国におけるイスラム金融の沿革、動向、現状などを概観している。またイスラム金融の多様性を2章を使って論じている。世界におけるイスラム金融を知りたい読者には最適な一冊である。

長岡慎介著『現代イスラーム金融論』名古屋大学出版会、2011年
イスラム金融の歴史、手法を詳述するとともに、イスラム金融の特徴であり、論点とされる「利子」、「流動性問題」、「不確実性」について、それぞれ1章を使って論じている。イスラム金融の基本を知った上で、さらに深く知りたい、ステップアップしたいと思う読者向けとなっている。

コメント

ミエリン鞘はとも呼ばれ、軸索に巻き付いて絶縁体として働く構造である。これにより神経パルスはミエリン鞘の間隙を跳躍的に伝わる(跳躍伝導)ことで神経伝達が高速になる。ミエリン鞘は末梢神経系の神経ではシュワン細胞、中枢神経系ではオリゴデンドロサイトから構成される。

脳の中にある空洞のこと。脳脊髄液で満たされている。脊髄にあるものは中心管と呼ばれる。

神経堤細胞は脊椎動物の発生時に見られる神経管に隣接した組織。頭部では神経、骨、軟骨、甲状腺、眼、結合組織などの一部に分化する。

細胞の生体膜(細胞膜や内膜など)にある膜貫通タンパク質の一種で、特定のイオンを選択的に通過させる孔をつくるものを総称してチャネルと呼ぶ。筒状の構造をしていて、イオンチャネルタンパク質が刺激を受けると筒の孔が開き、ナトリウムやカルシウムなどのイオンを通過させることで、細胞膜で厳密に区切られた細胞の内外のイオンの行き来を制御している。刺激の受け方は種類によって多様で、cGMPが結合すると筒の穴が開くものをcGMP依存性イオンチャネルと呼ぶ。TRPチャネルも複数のファミリーからなるイオンチャネルの一群であり、非選択性の陽イオンチャネルである。発見された際に用いられた活性化因子の頭文字や構造的特徴から、A (Ankyrin), C (canonical), M (melastatin), ML (mucolipin), N (no mechanoreceptor), P (polycystin), V(vanilloid)の7つのサブファミリーに分類されている。TRPは、細胞内や細胞外の様々な刺激によって活性化してセンサーとして働いたり、シグナルを変換したり増幅したりするトランスデューサーとしての機能も併せ持つ。温度センサーやトウガラシに含まれるカプサイシンのセンサーとしても機能していることが知られている。

任意の遺伝子の転写産物(mRNA)の相同な2本鎖RNAを人工的に合成し生物体内に導入することで、2本鎖RNAが相同部分を切断して遺伝子の発現を抑制する手法。2006年には、この手法の功績者がノーベル生理・医学賞を受賞している。

様々な動物種間で塩基配列やアミノ酸配列を比較することによって、類似性や相違を明らかにする手法。この解析によって動物種間の近縁関係や進化の過程を予測することが可能になる。

発生過程で神経管を裏打ちする中胚葉組織であり、頭索類・尾索類では背骨のような支持組織としての役割を持つ。脊椎動物では運動ニューロンの分化を誘導するなど発生学的役割を持つ

魚類に顕著にみられる鰓のスリットで、哺乳類では発生の初期にはみられる。発生が進むと複雑な形態形成変化が起き、消失するが、外耳孔などは鰓裂の名残ということができる。

動物の初期発生において最初の形態形成運動として原腸陥入が起こる。原腸は消化管に分化する。この原腸陥入によって生じる「孔」を原口と呼ぶが、これが将来の動物の体の口になるのが前口動物であり、肛門になるのが後口動物である。半索動物、脊索動物は後口動物である。

ナマコの幼生のことをオーリクラリア幼生と呼ぶが、ウニのプルテウス幼生、ヒトデのビピンナリア幼生、ギボシムシのトルナリア幼生など、形態的共通性をもつ幼生全体をまとめてオーリクラリア(型)幼生と呼ぶ。今日ではディプルールラ型幼生という呼び方が広く使われている。この説はガルスタングが1928年に提唱した。その時代にはオーリクラリアという用語が使われたため(ディプリュールラ説ではなく)オーリクラリア説と呼ばれている。

Hox遺伝子はショウジョウバエで発見されたホメオティック遺伝子の相同遺伝子である。無脊椎動物のゲノムには基本的に1つのHoxクラスターがあり、脊椎動物のゲノムには4つのHoxクラスターがある。Hoxb1は4つあるクラスターのうちのBクラスターに属する1番目のHox遺伝子という意味である。

脊椎動物胚の後脳領域には頭尾軸にそった分節性(等間隔の仕切り)がみられる。この各分節をロンボメアと呼び、図14に示すように7番目までは形態的に明瞭に観察できる。

脊椎動物のゲノムにはふたつか3つのIsletが存在する。Isletは脳幹(延髄、橋、中脳)の運動性脳神経核に発現して、運動ニューロンの分化に関与している。

感桿型では光刺激はホスホリパーゼCとイノシトールリン酸経路を活性化させる。繊毛型ではホスホジエステラーゼによる環状GMPの代謝が関与している。

気嚢による換気システムは獣脚類と呼ばれる恐竜から鳥類に至る系統で段階的に進化していったと考えられる。

このような特異な形態は胚発生期には見られず、生後に発達する。その過程は頭骨に見られる「テレスコーピング現象」と並行して進む。

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卵や精子、その元となる始原生殖細胞などを指し、子孫に遺伝情報が引き継がれる細胞そのものである。

卵や精子を作る減数分裂において、母由来の染色体と父由来の染色体が対合したときに、同じ領域がランダムに入れ替わる(組み換えられる)。つまり、我々の”配偶子の”染色体は、父親と母親由来の染色体がモザイク状に入り交じったものなのである(体細胞の染色体は免疫グロブリンなどの一部の領域を除いて基本的には均一なものと考えられている)。

 タンパク質にコードされる遺伝情報をもつ塩基配列。狭義にはゲノムDNAのうち、mRNAに転写され、タンパク質になる部分。近年は、タンパク質に翻訳されないものの、機能をもつtRNA、rRNAやノンコーディングRNAなども遺伝子の中に含められるようになっている。本書では、特に注意書きのない限り、タンパク質の元となるmRNAになる部分を遺伝子、と呼ぶ。

 では、その転写因子はなにが発現させるのか、というと、やはり別の転写因子である。卵の段階から、母親からmRNAとして最初期に発現する遺伝子は受け取っているので(母性RNA)、発生の最初期に使う転写因子を含む遺伝子群に関しては、転写の必要がないのである。その後、発生、分化が進んでいくと、それぞれの細胞集団に必要な転写因子が発現し、実際に機能をもつ遺伝子の転写を促す。

遺伝子は、核酸配列の連続した3塩基(コドンと呼ばれる)が1アミノ酸に対応し、順々にペプチド結合で繋げられてタンパク質となる。3つの塩基は43=64通りになるが、アミノ酸の数は20個、stopコドンを含めても21種類しかない。したがって、同じアミノ酸をコードするコドンは複数あり、たとえ変異が入ってもアミノ酸は変わらないことがある。これを同義置換と呼ぶ。一方で、変異によってコードするアミノ酸が変わってしまう置換を非同義置換と呼ぶ。

 ふたつの系統が祖先を共通にした最後の年代。本章では、近年の分岐年代推定を利用して作成された系統樹(当該文献[9]のFig.1を参照)からおよその年代を読み取り、記入している。

 アフリカツメガエルや、コイ科、サケ目など、進化上の随所でも全ゲノム重複が起こっている。

 最もよく知られている放射性同位元素による年代測定は、放射性炭素年代測定である。炭素12Cは紫外線や宇宙線によって、空気中では一部(1/1012)が常に14Cに変換されている。つまり、大気中ではいつの時代も1兆個の炭素原子のうちひとつが14C、残りが12Cという割合なのである(太陽活動の変化などにより若干のブレはある)。しかし一旦生物の体内に炭素が取り込まれ、そしてその生物が死に、地中に埋まってしまえば、もう宇宙線も紫外線も当たらないので、14Cへの変換は起こらない。ここで14Cは放射性同位元素であることに注目したい。14Cは約5730年で半分が崩壊し12Cに変換される。したがって、14Cの比率でいつその物質が地中に埋まったのかがわかるのである(文献7)。

 ただし、この放射性炭素年代測定では、14Cの検出限界の関係で、せいぜい6万年が限界である。それより昔は火山岩に含まれる物質の、やはり放射性崩壊の半減期を元に推定される。例えば、K-Ar法では、40Kが40Arに13億年の半減期で放射性崩壊することを利用する。溶岩からできたての火山岩か、あるいは何億年も経ったものかを調べることができる。40Kは岩石中に元々大量に存在するため、差異を検出することは不可能だが、40Ar(常温で気体)は大気中には微量しか含まれないため、岩石中に封入された気体の中の40Arの含有率を計測することにより、その岩石の古さがわかる。当然、40Arの率が高い物が古い岩石である。このように、複数の放射性元素の崩壊の半減期から地質年代というのは推定される。

 南米にもごく少数ながら有袋類が現存しており、これらのゲノム解析・比較から、オーストラリア・南米で現生の有袋類の共通祖先は、実は南米で生まれ、当時陸続きだった南極大陸を経て、オーストラリアにいたったと考えられている。

 世界で最も臭いといわれているシュールストレミングをネットで取り寄せて購入したとき、人々は逃げるどころか、わざわざ悶絶するために集まってきた。いい匂いの物を取り寄せても20人もの人数は集まるとは思えず、怖い物見たさという悪趣味な好奇心はたいしたものである。無論、取り寄せた私も例外ではない。ちなみに、シュールストレミングはひとかけらをクラッカーの上に載せるくらいの食べ方なら悪くない気もする。

このふたつの硬骨の作られ方について、第3章に詳述があるので参照。

 ガノイン鱗には我々の歯のエナメル質を作る遺伝子と相同な遺伝子が発現しており(文献18)、イメージとしては歯で身体を覆われているようなもので、当然極めて強固である。

 遺伝子にはその由来によっていくつかの異なる呼び名がある。オーソログとは、共通祖先がもつある遺伝子Aが、種分化によって2種以上の生物に受け継がれた時、受け継がれた遺伝子たちをオーソログと呼ぶ。パラログとは、遺伝子重複によって生じたふたつ以上の遺伝子を指す。最近では大野乾氏の功績をたたえ、ゲノム重複によって生じたパラログで現存するものを特にオオノログOhnologと呼ぶ。

 異化と同化……この2種類の化学反応によって生命活動は維持されている。異化は物質を分解してエネルギーを取り出す代謝経路、同化はエネルギーを使って必要な物質を体の中で作り出す代謝経路。

 アデノシン三リン酸の略。生体内のエネルギー通貨として、様々な化学反応に用いられている。

 組織中の核酸分子(ここでは特定の遺伝子から転写されたmRNAを指す)の分布を検出する手法。調べたい遺伝子の塩基配列を元に、そのmRNAに特異的に結合する分子を設計・合成することで特異度の高い検出が可能となっている。

 通常の生物の核ゲノムはそれぞれの両親に由来する染色体が2本1セット存在し(ディプロイド)、その染色体間で組み替えが起こるため遺伝的な由来を辿る作業がしばしば煩雑になる。しかしミトコンドリアは母親由来であるため(ハプロイド)、そのゲノムを利用することで比較的簡便に遺伝的な類縁関係を遡ることが可能となる。

 増幅断片長多型:制限酵素で切断したゲノムDNA断片をPCRにより増幅し、断片の長さの違いを網羅的に検出比較する方法。この断片長の違いを種間の類縁関係の推定に使用することが多い。

 sexual conflict。ある形質が片方の性にとっては有利だが、もう片方の性にとっては不利な場合にオスメス間で生じる対立。

 次世代シーケンサーを利用して、各組織に発現する遺伝子の種類や量を網羅的かつ定量的に推定する解析方法。

 真核生物のゲノムに散在する反復配列のうち、一度DNAからRNAに転写され、その後に逆転写酵素の働きでcDNAとなってからゲノム中の別の座位に組み込まれるものを指す。数多くのレトロポゾンが存在しており、例えばヒトゲノムは約40%がレトロポゾンによって占められている。

 太陽光には連続したことなる波長成分の光が含まれているが、その波長によってエネルギーが異なるため、水中に到達する波長成分の割合が深さによって異なることがわかっている。特に濁ったビクトリア湖のような水環境では浅場の方が短波長である青色光の成分が多く、深場では長波長の黄色〜赤色の成分が多いことがわかっている。

 タンパク質をコードするDNA配列上の塩基置換にはアミノ酸の置換を伴う非同義置換と、伴わない同義置換がある。一般に、同義置換は生体に影響を及ぼさないため中立であるが、非同義置換は生体にとって不利であることが多い。ただしタンパク質の機能変化が個体にとって有利な場合は非同義置換の割合が上昇することが知られており、それを正の自然選択と呼ぶ。同義置換と非同義置換の割合を統計学的に比較する方法がある。詳細については第7章およびコラム「適応進化に関わる候補遺伝子や候補領域を絞り込むアプローチ」を参照。

   発生初期の胚の一部の細胞群から作られ、生殖細胞を含む様々な組織に分化可能な性質(多能性)を有する細胞株。英語名(embryonic stem cells)の頭文字をとって、ES細胞と呼ばれることも多い。

 変異体を元になった親系統と交配すること。TILLING変異体に関しては変異以外の部分を親系統由来のゲノムに置換するために行う。1回の交配で全体の50%の領域が置換されるため、90%以上を置換するためには最低4回の、99%以上を置換するためには最低7回の戻し交配が必要である。

 タンパク質の二次構造のうち代表的なモチーフのひとつ。水素結合により形成されたらせん状の形である。

 Francis Crickが1958年に提唱した、遺伝情報がDNA→(転写)→mRNA→(翻訳)→タンパク質、という流れで伝わるという概念のこと。分子生物学の基本となる極めて重要な概念である。

 ヒメダカの原因遺伝子としてだけでなく、ヒトの先天性白皮症(つまりアルビノ)やホワイトタイガーの原因遺伝子としても知られる。水素イオンを運ぶトランスポーターをコードすることがわかっているが、その黒色素産生(メラニン合成)における機能は未解明な点が多い。

 相同組換えの鋳型となる外来DNA断片のこと。通常、導入したい配列(GFP遺伝子や特定の塩基置換など)の上流・下流それぞれに、導入したいゲノム領域と相同な配列(相同アームと呼ばれる)を持ったDNA断片である。

 RNAポリメラーゼが結合し、RNAを転写するのに必要最小限の遺伝子上流配列。通常、単独では下流の遺伝子は転写されないが、周辺に転写活性化領域(エンハンサーなど)が存在すると、その影響を受けて下流に存在する遺伝子が転写される。

 オオシモフリエダシャクの「工業暗化」の例を考えるとわかりやすい。これは、産業革命以降のイギリスで、暗化型と呼ばれるより黒い個体の割合が多くなったとされる例である。この蛾は、自然が多い地域では淡色型が目立ちにくく、鳥に捕食されづらかったが、すすで黒くなった木が多い工業地帯では、より黒い暗化型のほうが目立ちにくく、生き残りやすかった。この場合、仮に蛾の色をより黒くするアミノ酸変異が生じたとすると、そのアミノ酸変異は工業地帯で生存に有利で、固定されやすいだろう。ちなみに、近年、具体的にどんな遺伝的変異がこの工業暗化に関わっていたのかが詳細に解析されつつある。

 SWS = short wave sensitive opsin、つまり短波長の光に感受性をもつオプシンのサブタイプ。

 第4章にも記載されているように、深いところには波長の長い赤い光のみが届く傾向がある。つまり、水深の深いところに棲む集団では、青い光を感受するSWSの機能は重要ではなくなってしまう。

 Gタンパク質はGTP結合タンパク質ともよばれ、GTPと結合することで活性化される。GTPを加水分解する性質をもっており、結合しているGTPがGDPに加水分解されると自身が不活性化される。受容体からの信号を中継するものは三量体(α、β、γサブユニット)として存在している。

 神経伝達物質は、放出された後、即座に分解されなければ迅速な伝達を成し得ない。したがって、こういった分解酵素の存在は、ATPが実際にその部位で神経伝達物質として働いていることの傍証となる。

 セロトニンは生体内に存在するモノアミンの一種であり、神経系では神経伝達物質として機能する。生体内のセロトニンの大部分(〜95%)は腸管に存在しており、神経系に存在するものは割合としては小さい。神経系では中脳の縫線核という部位のニューロンで産生され、情動機能等に関係しており、セロトニンの再取り込み阻害剤には抗鬱薬の作用がある。味蕾に存在するセロトニンはそれらとは別の働きをもっていると考えられる。

 迷走神経には感覚性の線維と運動性の線維の両方が含まれており、ここでの迷走感覚神経とはその中の感覚性の要素のみを指す。

 神経細胞(ニューロン)で、突起状の構造(軸索や樹状突起)以外の、核の周辺部の構造を細胞体という。

 ある細胞が放出するリガンドが、その細胞自身の受容体に働くことを自己分泌という。近傍の細胞の場合は傍分泌と呼ぶ。近隣の同じ性質をもった細胞に作用する場合と、自分自身に働く場合を合わせて、自己・傍分泌と呼ぶことが多い。哺乳類のキスペプチンニューロンは、キスペプチン以外に放出するニューロキニンB、ダイノルフィンと呼ばれるペプチドが、キスペプチンニューロン自身に作用することで、アクセルとブレーキのように働き、そのタイムラグでキスペプチンの放出を間歇的に引き起こす。これが前述のGnRHパルスを生み出しているとされている。

 市場に出ている子持ち昆布の中には、ニシン以外の魚(タラの仲間など)を用いて加工されているものもある。また、本物のニシンの卵の場合も、自然に海藻に産みつけられた卵はもっとまばらなので、あのようにびっしりと卵が並んで食べ応えのある子持ち昆布は人為的に作られているようだ。

 タンパク質の一次構造を形成する際にアミノ酸間に形成されるペプチド結合ではなく、側鎖にあるアミノ基とカルボキシル基の間に形成されるペプチド結合のこと。

 2-⑴で述べたように魚類の卵膜の別名は“コリオン”である。将来コリオンになるタンパク質のため、“材料”の意味をもつ“-genin”をつけて、コリオジェニンと呼ばれている。

 遺伝子のうち、半数体ゲノムにつき1コピー(体細胞では2コピー)しかない遺伝子以外のもの。

 共通祖先から生じたいくつかの遺伝子のうち、異なる生物種において類似または相同な機能をもつ遺伝子同士のこと。たとえば、ヘモグロビン、ミオグロビン、サイトグロビンなどは共通祖先から由来するグロビン遺伝子ファミリーであり、ヒトもマウスもこれらの遺伝子をもつが、このうちヒトのヘモグロビン遺伝子とマウスのヘモグロビン遺伝子はオーソログの関係にあるといえる。

 遺伝子ファミリーの中には、突然変異などによって機能を失ってしまうものがある。例えば、変異によって翻訳の途中にストップコドンが入ったり、プロモーターの欠損による転写不能や、転写後のプロセッシングに関与する配列の欠如による成熟mRNAの形成不全などがある。このように、配列の痕跡は残っており、どの遺伝子ファミリーに属するかは明らかだが、機能的でない遺伝子を偽遺伝子(Pseudogene)という。

 魚類では毎年数百の新種記載があり、2018年現在において硬骨魚類の現生種の記載数は3万をこえる。

 栄養リボンという邦訳は、山岸宏『比較生殖学』(東海大学出版会、1995年)による。

 第8章で触れられているデンキウナギなどは、長い身体の大部分が発電器官になっており、肛門の位置が同じように著しく前方に位置する。

 酵素活性は同じであるが、アミノ酸配列の違いによって性質の異なる酵素タンパク質。タンパク質の電気泳動度の差異から、その支配遺伝子座における遺伝子型の差異を検出できる。

 生物相の分布境界線で、この線を挟んで動植物相が大きく変化する。この線の西側が東洋区、東側がオーストラリア区とされる。ウォーレスとウェーバーがそれぞれ異なる境界線を提唱した。スラウェシ島やティモール島は両者の境界線の間に位置する。

 個体や系統を識別する上で目印となるDNA配列のこと。系統間で塩基配列が異なる領域があれば、そこをDNAマーカーとして利用できる。

 ゲノムDNAを制限酵素で切断し、100〜200kbの断片を細菌人工染色体(BAC)ベクターに組み込んでクローン化したもの。大きな領域の物理地図や塩基配列決定に必要とされてきた。

 DNAマーカーや既知のクローンを用いて、配列が一部重なり合うクローンを同定する作業を繰り返し、目的遺伝子近傍のクローンコンティグを作成する方法。

 ミュラー管とは哺乳類の発生過程で将来卵管になる管で、オスではこのホルモンの働きによって退縮する。しかし、真骨魚類にミュラー管はなく、別の機能をもつと考えられる。

 メダカ博士こと山本時男博士は、1953年d-rR系統(オスが緋色、メスが白色の限定遺伝をもとに育成作出された系統、X染色体上に潜性(劣性)のr遺伝子、Y染色体状に顕性(優性)のR遺伝子をもつ、体色により遺伝的な性の判別が可能)の孵化直後から性ホルモンを経口投与して性の人為的転換に成功した。すなわちXrXrでもアンドロゲン投与によりオスとなり、正常メスXrXrと交配して、メスメダカばかりを生んだ。XrYRもエストロゲン投与によりメスに性転換し、正常のオスXrYRと交配した。性ホルモンによる性転換が多くの研究者から示されていたが、山本博士によって初めて遺伝的な性と性ホルモンによる性転換の関連が明らかにされた。コラム⑧も参照。

 コ・オプション(co-option)、遺伝子の使い回し。既存の遺伝子が新たな機能を担うようになること。

 非同義置換よりも大きな影響を与えるのがフレームシフトである。3の単位で塩基は読まれていくが、もし、3の倍数以外の挿入/欠失が起こった場合は、その後の配列が全て読み枠がズレてしまい、その挿入/欠失より後(C末端側)ではまったく異なるタンパク質ができてしまう。

008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ通称

通称ブレグジット(英語: Brexit)とは、イギリスが欧州連合(EU)から離脱すること