よほど腹にすえかねていたのだろう。2017年11月、自らが主催した中銀関係者の国際会議で思わず本音が漏れた。「国際的な評価にさらされず、真実とは異なるメッセージを長年にわたって発信している新聞がある」。念頭にあったのはECBの厳しい金融監督を指弾するイタリア紙と、金融緩和に反対するキャンペーンを張るドイツ紙。隣に座っていた米連邦準備理事会(FRB)のイエレン議長らが笑い飛ばしたため、その場の雰囲気は和んだが中銀トップがメディア批判を展開するのは異例の出来事だった。
不満が爆発したのは実は、これが初めてではない。「このイタリア人はドイツを破壊する気だな、という不安にとりつかれている」。さかのぼること4年前の2013年末、独誌シュピーゲルで、ECBの金融緩和に懐疑的なドイツ世論に不満を漏らしていた。批判を和らげようと一時は金融政策を担当するドイツ人記者たちと車座になって議論し、説得しようと試みたが失敗。理事会メンバーでもあるドイツ連邦銀行のヴァイトマン総裁との確執は本章でも指摘した通りだ。
なぜ「ドラギ流の金融政策」と「ドイツの価値観」は相いれないのか。2011年の総裁就任で始まったECBのドラギ体制に原因がある。
ドラギ体制の特徴は3つ。1つは政策の幅を広げたこと。マイナス金利や量的緩和など新しい手法に果敢に取り組んだ。米マサチューセッツ工科大学でフィッシャーFRB元副議長らに師事して博士号を取得。同窓のサマーズ米元財務長官との交流も深い。実験的な政策の導入をいとわないFRBの影響を受けたのは間違いない。
2つ目は市場との対話。定例の記者会見で冒頭に指名されるのはロイターなど市場ニュースに強い通信社だ。「金融市場にアナウンスメント(口先介入)で影響を与えたいのだろう」と番記者は受け止める。コミュニケーションを金融政策の道具として多用するのは、米投資銀行での勤務経験から「市場を知っている」との自信の表れだ。
3つ目は大胆な決断。欧州債務危機の渦中で各国政府の動きを待たずにECBが率先して動いた。「イタリア政界の機能不全ぶりを知っているため、政府に期待していない」。ドラギ氏を知る金融筋はこう明かす。
つまりドラギ総裁の政策手法は青年時代からの人生の集大成。いまさらドイツの意見を聞く必要はないとドラギ氏は考え、そんなドラギ氏にドイツは金融政策を歪めているといらだつ。ドラギ体制では中銀の役割が肥大化し、行き過ぎた金融緩和が市場原理をゆがめ、政府の改革意欲を鈍らせると指摘。政策金利で物価をコントロールするという伝統的なスタイルから逸脱していると非難する。
域内最大の経済力を持つドイツとの衝突も辞さぬ強い信念を持つドラギ氏。周囲から「正統派のイタリア・エリート」とされる。セントラルバンカーの家庭に生まれ、博士号を取得するために米国に渡る。世界銀行、イタリア財務省、米ゴールドマン・サックス、そしてイタリア中銀を渡り歩いた後にECB総裁に就いた。2011年に次期ECB総裁の最有力候補だったヴェーバー独連銀総裁が南欧支援策に抗議して突然、辞任したため、次点のドラギ氏にお鉢が回ってきたという経緯がある。国際経験の豊富なテクノクラートとして将来のイタリア大統領という噂が流れたこともある。
仕事のやり方は効率主義。主要20カ国・地域(G20)や7カ国(G7)の国際会議であっても中身のある話し合いがないとみれば、さっさと議場をあとにする。物事は少人数の側近に諮るだけで即決。群れるのは嫌いで、出張先のホテルでは部下もつれずに1人で朝食をとることが多い。念入りに根回ししたり、ユーロ参加国の複雑な利害対立をひもといたりといった調整型の仕事は苦手という評判がついてまわる。孤高の総裁と本音で語り合うジャーナリストはほとんどおらず、「本意がみえない」とイタリア人記者ですら嘆く。
「自ら決めたいタイプ」のドラギ総裁の任期は2019年10月末まで。自ら主導した非伝統的な金融政策をどのように手じまいするのか。それが任期終盤の大仕事になる。