遺伝子・進化または世界史の本を扱う出版社です

はじめに

  • HOME »
  • はじめに

目次に戻る〉 〈序章へ

はじめに

坂上康博

 オリンピックやサッカー・ワールドカップなどの国際的な競技大会は、今や世界の200以上の国や地域でテレビ中継され、ワールドカップの決勝にいたっては、最大で12時間の時差があるにもかかわらず、10億人が観戦しているといわれている。かく言う私も、午前0時や3時であっても、寝ぼけ眼をこじ開け試合に見入ってしまう。国境を越えてこれほど多くの人びとを惹きつけているイベントは、地球上のどこを見回しても他にないだろう。

 スタジアムでは、話す言語も、肌や目や髪の色、体型も異なる世界中のアスリートたちが一堂に会して、勝利をめざして全力でプレーし、激しい闘争心や逆境にもめげない精神的な強さ、仲間同士の励まし合いや予想をこえた劇的な試合展開などが、観る人の心を揺さぶる。オリンピックなどの国際的な競技大会―それは、具体的な生身の人間を介して、地球全体を一望することができる「世界の窓」なのだ。こんなふうに肌身で世界を感じられる機会は他にはない。

 だが同時に、オリンピックなどの国際的な競技大会が「冷戦時代」に東西両陣営の“代理戦争”としての色彩を強め、選手へのドーピングの強要をふくむ狂気じみたメダル獲得競争をくり広げていたことは、記憶に新しい。そして現在も、2020年の東京オリンピックによって明らになったように、巨額の開催経費の負担、アスリートよりもテレビ局の意向を優先した開催時期や放映時間、メダル至上主義などのさまざまな問題を抱え込んでいる。

 スポーツは、「世界の共通語」として類まれな平和構築のパワーをもち、国際的な連帯を築くと同時に国家間のライバル心や憎しみをも助長する。国民に喜びを爆発させる機会を与えるとともに多くの犠牲も強いる。まさに「諸刃の剣」なのだ。そしてスポーツは、世界の姿そのものを映し出す「鏡」であると同時に世界を創り出している。

 スポーツの歴史には、この世界のまばゆい光と暗い闇、人びとの歓喜や愛憎が刻み込まれている。それらを紐解き、人びとの経験を知り、思索することで、私たちが得るものは決して小さくはないはずだ。それによって私たちが直面している難問を解く糸口も見つかるかもしれない。そんな思いがこの本をつくる原動力となっている。

 ✽

 ここでクイズ。世界で最もメジャーなスポーツといえばオリンピック競技であるが、では、それぞれの競技はどこで生れたのか、その「母国」はどこか? 

 サッカーやラグビー、テニスの母国はイギリス、野球やバスケットボール、バレーボールはアメリカ、柔道は日本、テコンドーは韓国。ここまでは結構正解率が高いと思う。しかし、以下はどうだろう。卓球、バドミントン、ボクシング、陸上競技、水泳、自転車、ボート、アーチェリー、ホッケー、射撃、スケート、カーリングは? 答えはすべてイギリスである。

 実は、現在の夏季・冬季オリンピックの全競技のうちの約半分がイギリス、4分の1がアメリカ生まれのスポーツで占められている。つまり4分の3が英米産のスポーツなのだ。その大半が、19世紀の後半以降に設立された統轄組織によって統一ルールを制定し、それによって誰もが競い合える「近代スポーツ」として20世紀を通して地球的規模で広まっていった。そしてその世界的な普及のスピードを早めたのが、1896年に始まるオリンピックなどの国際的な競技大会であった。

 ということで、スポーツの世界史を理解するうえでのひとつのポイントは、英米とくにイギリスで生まれたスポーツが、その後の100年ほどの間にどのようにして国境を越えて伝播し、世界各国でどのような文化としてその地に受け入れられ、根を下ろし、普及していったのかという点にある。本書の重点もここに置かれている。

 もちろん、英米産の近代スポーツやオリンピック競技がスポーツのすべてではない。世界は広い。東南アジア一帯の綱引きや競漕、中近東・南北アジアなどの騎馬競技、フィンランドの野球「ペサパッロ」、アイルランドのハーリングやゲーリックフットボール等々、地球上には無数の伝承遊戯や競技、民族スポーツが存在している。この本の中でも、剣道などの日本の武道やブラジルのカポエイラ、オーストラリアン・フットボールなどを取り上げているが、それは巨大な氷山の一角にすぎない。

 では、どうして近代スポーツに重点を置いた本をつくったのか? 理由は簡単で、寒川恒夫編『図説スポーツ史』(朝倉書店、1991年)や稲垣正浩他『図説スポーツの歴史―「世界スポーツ史」へのアプローチ』(大修館書店、1996年)など、民族スポーツや伝承遊戯に重点を置いたすぐれたテキストが、とうの昔に登場しているからだ。また、競技別の世界史も、小倉純二他日本語版監修『フットボールの歴史』(講談社、2004年)などがあり、ディープなファンたちを楽しませてくれている。

 つまり〈民族スポーツの世界史〉や〈競技別の世界史〉は、すでにある。しかし、意外なことに〈国別の近代スポーツの世界史〉が、日本だけでなく世界を見渡してみてもほとんど見当たらないのだ。なぜか? 〈民族スポーツの世界史〉は対象となる国や地域をある程度限定でき、〈競技別の世界史〉は特定のスポーツに絞り込むことができる。しかし、〈国別の近代スポーツの世界史〉となるとそうはいかない。対象があまりにも膨大なのだ。越えなければならない言語の壁もそれに比例して高くなる。それらが私たちの前に立ちはだかり、行く手を遮ってしまう。

 こうした状況を突破するために、われわれは、総勢20名のメンバーからなるチームを立ち上げた。極東の島国日本というユニークな立ち位置とチームワーク、それがこのチームの強みだ。

 ✽

 本書は、世界21か国とアフリカ大陸、イスラーム圏、カリブ海地域の近代スポーツの歴史を網羅した。国連の加盟国だけでも193(2018年2月現在)なので、本書でカバーできたのはその1割程度にすぎないが、世界の5つの大陸はもちろん、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南北アメリカの主要な国々をカバーすることによって、〈近代スポーツの世界史〉を描こうと試みた。

 きっと本書を手にとるすべての方に新たな出会いがあるはずだ。本書には、これまで日本で全く知られていなかったさまざまな国のスポーツの姿が、貴重な写真や絵画資料などとともに登場する。そしてスポーツを通してその国や地域の素顔が、歴史そのものが見えてくるはずである。スポーツは、近代国家の建設や政治、経済、社会、文化、教育などと密接な関係をもち、その歩みにはそれぞれの国や地域の歴史が克明に刻み込まれている。

 本書は、専門家向けの論文集でも、また事典や教科書的な記述でもなく、読み物として面白い一般読者向けの「スポーツで読む世界史」をめざした。“面白さ”の中身は、各章の執筆者にお任せしたが、共通のねらいを、スポーツを通してその国や地域の歴史的個性を浮かび上がらせ、世界の多様性についての理解を深めるという点に置いた。ナショナリズム、アイデンティティ、ジェンダー、メディア、植民地、暴力、人種、民族、階級、市民、国民統合、政治的利用等々―それぞれの国や地域の歴史的な特徴を示すような魅力的なテーマや視点、興味深いトピックスやエピソード等々、各自の得意なアプローチが披露されているはずである。

 ✽

 序章では、近代スポーツが誕生するまでの12世紀以降の長い道のりを、第1章では、イギリスにおける近代スポーツの誕生そのものを追跡する。第2章~21章は、主にイギリスやアメリカで生まれたスポーツがそれぞれの国や地域でいかに受容され、あるいは拒否されていったのか、また、それぞれの国や地域で独自に伝承されてきたスポーツがどのような運命をたどったのかをさまざまな視点や多彩なトピックスから描き出す。そして終章では、この100年ほどの間のスポーツの全体的な変化を国や地域を越えて横断的に概括するとともに、スポーツの国際的な展開の全貌とスポーツの概念そのものの変化をスケッチした。

 ということで、序章から読んでいただくと、〈近代スポーツの世界史〉の大きな流れをつかむことができるようになっているが、目次を見て、自分が好きな国や地域から読み始めてもらってももちろん構わない。あるいは巻末の索引を使って興味があるスポーツや歴史的な事項をチェックし、各章を拾い読みするのもいいだろう。それによって国や地域を越えて特定のスポーツを探索したり、複数の国や地域での受容のされ方などを比較することもできるだろう。

 さらに本書の巻末にあるパスワードを用いれば、一色出版のホームページから本書の電子版にいつでもどこからでもアクセスできる。電子版は、図版がカラーで掲載されていてそれを拡大して見ることも可能である。

 ぜひこれらをフル活用して、自分なりの自由気ままなスポーツの世界史の旅を楽しんでいただきたい。

目次に戻る〉 〈序章へ

PAGETOP
Copyright © 一色出版 2017 All Rights Reserved.
     

シェイクスピア、ビートルズの生誕の地イングランドは、イギリス諸島にある、スコットランドとウェールズと国境を接した国です。テムズ川沿いにある首都ロンドンには国会議事堂のビッグベン、11 世紀に建てられたロンドン塔があります。多文化が共存する、芸術とビジネスの中心地でもあります。その他にも、マンチェスター、バーミンガム、リヴァプール、ブリストル、大学が集うオックスフォードやケンブリッジといった大都市があります。