スポーツは、学校体育(体操科)の教材としても採用されていくが、中等学校や師範学校では、体操と教練(兵式体操)に重点が置かれていた。学生たちがスポーツに多くの時間と情熱を注いだのは、放課後に行なわれた運動部活動である。その中からやがてオリンピックなどの国際的な舞台で活躍する選手も生まれていった。戦前、1912年から36年までに日本は計6回夏季オリンピックに参加し、派遣された選手は計389人にのぼるが、うち258人(66%)が学生であり、その半分以上が早稲田、慶応、明治の3大学の学生で占められている。

 慶応に体育会が設立されたのは1892年であり、この時に剣術、柔術、弓術、野球、ボート、操練(兵式体操)、徒歩の7つの部が設置され、続いて1917年から1922年の間に競走、相撲、山岳、ホッケー、馬術の5つが、さらに1927年から1941年の間にサッカー、スケート、バスケットボール、空手、スキー、卓球、ヨット、バレーボール、射撃の9つの部が加入し、こうして戦前の慶応大学体育会の運動部は、合計で22となった